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2008年10月

一人旅 in 博多 (7)最終日

2008年10月26日
26th_oct_2008_800_2今回の一人旅も、最後の日になりましたので、「ホテル ル-トイン博多駅前」で最後の朝食になりました。

26th_oct_2008_800_3往路は高速バスでしたが、復路は新幹線ですので、JR博多駅で、切符を買いプラットフォ-ム(platformですから発音はプラットフォ-ムで、プラットホ-ムではありません。)に重いス-ツケ-スを運びに立ちました。 電子式時刻表示板は、のぞみ14号東京行き午前9時発車と映し出しています。

26th_oct_2008_800_4東京と博多間を結ぶN700系車両は、高速性、快適性、環境性能、省エネルギー化を配慮した設計思想で作れ、流線型で、トンネルでの空気抵抗を考慮した独特の形になっています。

26th_oct_2008_800_5お昼になり、隣は空席ですので、焼酎とつまみで喉を湿らせました。(笑)

26th_oct_2008_800_6新幹線は定時に走り続け、車窓を眺めていると、静岡県の富士市を通過していますが、この地域には、大小の製紙会社が沢山集まって製紙の町として知られています。 現役時代には、様々な方々にお世話になった懐かしい製紙工場の煙突が見え、煙でなく蒸気の湯気が立ち上っていましたので、不景気が続く中で工場が稼働していましたので、とても嬉しくなりました。

東京駅に到着して、駅構内でラ-メンを戴き、電車を乗り換えて無事に帰宅しました。

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一人旅 in 博多 (6)

1_25th_june_2008_800 博多地区冷泉町にある浄土宗「冷泉山龍宮寺」の山門(それぞれの寺院は、本来山に建てられ、山号を付けて呼んだ名が残った為に、平地でも山門と云われ、寺院の正面の門は、空門・無相門・無願門の三境の地を経て仏国土に至る門なので、三門とも云われています。又、左右に脇門が建てられ大門の形となり、その後に、大門のみとなり、そのまま、三門の呼び方が残ったとも云われています。)です。 三寳大荒神(さんぽうだいこうじん)の石碑が建っていますが、三宝荒神(さんぽうこうじん)とは、仏僧の三宝を守る神、或いは、地(土)、水、火を司る神とも云われていますが、三寳大荒神とはどの様な意味なのが、判りかねますので、宿題にする事にします。 山門前で写真を撮っていると、どうぞお入りなさいと、観光案内ボランティアの人が声をかけてくれましたので、拝観させて頂く事にしました。

1_25th_jne_2008_800 山門を入るとすぐ左手には、小さな神社があり、三寳大荒神(さんぽうだいこうじん)の神額が見えます

25th_oct_2008_800 境内には観音堂があり、霊場本尊が安置されています。 博多には7つの観音様が、それぞれの寺院、龍宮寺、大乗寺、妙楽時、聖福時、東長寺、観音寺、乳峯寺にそれぞれ祭られて、参杯者も多いと云われています。

25th_june_2008_800_2 鎌倉時代の1222年(貞応元年)に、人魚が博多の海で網にかかったので、「人魚が龍宮から来た」と言い伝えられ、その人魚の絵が描かれた掛け軸が本堂内に展示されていました。

5th_oct_2008_800 更に、その証拠として、人魚の骨がその掛け軸の下に置いてあり、今でも大切にされているので、写真を撮らせて貰いました。 その人魚伝説から、寺号を浮御堂から浄土宗「冷泉山龍宮寺」と改名した様です

谷阿上人が開山したと云われる龍宮寺のご本尊は、慈覚大師作と云われる聖観音(しょうかんのん)が安置されています。

25th_june_2008_800_3 移動した墓石と共に、人魚塚もありましたが、人魚伝説が残ってるお寺も、デンマークの首都、コヘンハ-ゲンの人魚姫の銅像(バレイの人魚姫が製作動機です。)も、それぞれがロマンがある伝説と思いました。

1_25th_oct_2008_800 一旦ホテルに戻り、アイリッシュ・パブ、「ハ-フ・ペニ-博多口店」さんに再度訪れました。 早速、ギネス・ビ-ルとシングル・モルト・ウィスキ-、グレンフィデックをダブルで注文しました。

25th_oct_2008_800_2 野菜不足にならない様にと、大根と人参の野菜スティックを頼みました。

25th_oct_2008_800_3 そして腹にたまる、ソ-セ-ジの盛り合わせを戴きホテルに戻りました。 大阪と九州の一人旅が2008年10月9日から始まり、明日(2008年10月26日)は、帰宅の日なので、今晩は早めにゆっくりと休む事にしました。

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一人旅 in 博多 (5)

1_25th_oct_2008_800 「キャナルシティ博多」は、博多川と那珂川に挟まれた歓楽街の中洲に隣接し、ホテルや劇場や映画館やブティクのお店などがある大型複合商業ビルで、博多ハロウィン祭りの最中でした。 橙色のカボチャを飾りして雰囲気作りされていました。 間欠式噴水になっています。 キャナルは英語で運河を意味し、船が通れる様な深さや幅がありませんが、長さ200mの人工の運河があります。

2_25th_oct_2008_800_3多くの噴水から噴出していますが、水の動の美を表現しています。

25th_oct_2008_800 カメラを更に右に振ると、サンプラザ・ステージでは、今日は、博多ハロウィンの仮装を審査中で、テレビやラジオの公開番組の生中継や大道芸やライブなどが頻繁に、催されている様です。

3_25th_oct_2009_800 「キャナルシティ博多」の全貌の一部です。

25th_oct_2008_800_2 鏡天満宮(かがみてんまんぐう)は、福岡市博多区川端のビル群の中の一角にあり、平安時代の学者や漢詩人や政治家でもあった菅原道真(すがわらのみちざね、みちまさ、どうしん)が、博多湾に上陸し、大宰府へと向かう途中で、銅鏡にうつる船旅にやつれた己が姿を嘆いたと云われ、その鏡を神体とした為に、「鏡天満宮」の社名になったと云われ、御祭神は、菅原道真公で、その鏡も祀られています。

2_25th_oct_2009_800 斜めから鏡天満宮の神殿を撮りました。

25th_oct_2008_800_3 そして少し歩くと、川端通り商店街には地下鉄の駅階段があり、その横には、川上音次郎(かわかみおとじろう)の銅像ありました。 歌手兼俳優の中村雅敏さんが音次郎を演じていた、ドラマをNHKが放映していましたので、その当時には毎週見ていましたが、「オッペケペー節」で有名な新派の芸人であった音次郎は、この博多で生まれたそうです。

25th_oct_2008_800_4 ちょっと疲れましたので、小休止する為に、博多区呉服町にある喫茶店に立ち寄り、アイスココアを注文しましたが、280円はお得な値段でした。

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一人旅 in 博多 (4)

2008年10月25日:博多町家「ふるさと館」は、櫛田神社と道路を挟んで]向い側にありました。 その館は、明治と大正時代の博多を紹介する歴史資料館で、展示棟、町家棟やみやげ処に分けられていました。

25th_oct_2008_800 展示棟には、福岡の大型地図が展示され、博多の町の模型があり、年の初めに福を願う博多松囃子(はかたまつばやし)の様子の模型の展示や博多祇園山笠(はかたぎおんやまがさ)の短編映像も放映され、明治から大正時代の博多の生活と暮らしを紹介しているのがこの館1階で、2階には、様々に伝統工芸品の製作過程なども見る事が出来ます。

 

25th_oct_2008_800_3 博多松囃子(はかたまつばやし)の様子の模型が展示されていました。

25th_oct_2008_800_2 町家棟は、明治時代に、博多の織元の住居兼織り場として建てられた建築物を復元され、それらの太い大黒柱や廊下を見ると、神社仏閣と同様に、日本の建築技術の素晴らしさを感じる事が出来ましたし、私の両親や家族と共に、茨城県に、日曜大工で在来工法の自宅を建てた若かかり日を懐かしく思い出しました。 その隣のみやげ処には、博多の伝統銘菓、博多人形、博多織、博多曲物、博多張子、博多独楽、博多鋏、博多びーどろ、博多おはじきなどの土産品が売っていました。

25th_oct_2008_800_4 古井戸がありました。 昔は、多くの家庭で利用されていた、ガチャポンのポンプです。 幸い我が家にも、古井戸があり、昔は利用されていた様で、緊急時に利用出来る様に手押しポンプは準備してあるので、取り付け仕事があった事を思い出しました。

25th_oct_2008_800_5 塗り壁があり、石と瓦を埋め込んだデザインになっています。

ふるさと館の地域を離れ、お昼に立ち寄るお店の探索が始まりました。 向かったのは博多駅からほど近い「キャナルシティ博多」。 ホテル、劇場、映画館、ショッピングモールなどがある大型複合施設てすから、ここならば、和洋中華のお店がたくさんあるはずです。 あっ、廻転寿司の文字が、ふと目にとまり、お寿司が食べたいと思ったら、もう、お店の椅子に座っていました。 

1_25th_oct_2008_800 最初に鯛の握りです。

25th_oct_2008_800_7 ピンク色のサ-モンの握りで、身がねとっとして、いい味です。 赤タマネギとワケギらしきものがトッピングされているので、野菜も摂れるので、さらに嬉しいです。

25th_oct_2008_800_8 烏賊納豆(いかなっとう)の軍艦巻きで、栄養バランスも良く、昔、お寿司屋さんでは、食べた記憶がないので、おそらく、どこかの回転寿司店さんが、そのメニュ-を開発し、全国的に広がったと思います。 味噌ラ-メンの例もそうですが、札幌に単身赴任している、ある単身赴任のサラリ-マン、サッチョン(サッポロのチョンガ-)が、ラ-メン横町のあるラ-メン店で、みそ汁も食べたいと店主にリクエストしたら、味噌を入れて作ってくれたのが、始まりで、全国的に広まったと云われていますし、ホッケの焼き魚やサンマの刺身なども、北海道から全国展開したのも、多くのサラリ-マン達の出張と転勤も大いに影響していると思います。

25th_oct_2008_800_9 生サンマの握りで、大変美味しく、後でもう一皿戴く事になります。 昔は、サンマ料理は、塩焼きか煮るくらいでしたので、初めて私が生サンマの刺身を食したのは、北海道の紋別市のスナック店でした。 それは今から33年ほど前の話なんです。 紋別市内のそのスナック店に、白人と、通訳らしきサラリ-マンが、突然入店してきたので、お店のママさんは、心臓が止まるほど驚いたそうです。 何年も前に、ロシア人らしい船員さん達が立ち寄ってくれたのは嬉しいが、言葉が通じないのでとても大変だった事があったとか、そんな語らいをしていると、サンマの刺身がテブ-ルに出されて、サンマと云えば焼き魚か煮魚しか食べた事がない私は、一瞬、カルチャ-・ショックを受けました。 新鮮だから、鯖と同様にサンマも、刺身で食べられるのよ、大丈夫だか、食べてごらんとママに勧められて、恐る恐る箸を動かしました。 なんと、美々なんでしょうと、味わいながら、私に同行したアメリカ人、ボブさんにも勧めました。 ボブさんは、当時、東京の六本木の事務所内で、日本人従業員達が、お茶やコ-ヒ-を飲むのに、味噌をお湯で溶かしただけのミソス-プが好きで飲んでいましたが、私が出張に出る時は、同行する機会が多く、楽しみにしていました。 仕事も順調に伸び初め、国内に工場の建設計画も始まり、新工場の着工や試運転で、彼も多忙になっていましたし、私の紋別での新規の商売も始まり、上司であるボブさんが時々同行して、そのスナックに立ち寄った楽しい思い出があり、生サンマは、私にとって、そんな事を甦らせてくれる食材なんです。 今の時代に、全国的に生サンマや生鯖が戴ける事は、運送網が発達した為で、地産地消の精神に反しますので、ちょっと複雑な思いがします。

25th_oct_2008_800_11 烏賊の握りです。

25th_oct_2008_800_12 北海ダコで、水ダコとも呼ばれ、吸盤はこりこりして美味しい食感で、足の身は柔らかくあまみがあります。 スペインやイタリアでもタコが食されていますが、日本は世界一の消費国と云われ、各地で捕れる地ダコは、地元の寿司屋さんや料亭に回され、ス-パ-やたこ焼きのタコの多くは、輸入品で、輸入先は、モーリタニアやセネガルなどからのアフリカからで、その他には、中国、タイ、ベトナムなどからも輸入されています。 ですので、国産のタコですが、北海道や宮城県など東北産のタコになります。

25th_oct_2008_800_13 馬肉の刺身で、馬刺しとも呼ばれ、勿論、部位によっては、脂がありますが、この握りの馬刺しは脂肪分が少なくさっぱりしています。 馬刺し、青森県、長野県、山梨県、東北地方や熊本県に食する習慣がありますし、九州地方では、馬肉は一般的に良く食されていますが、国産肉は少なく、オーストラリア、アルゼンチン、ブラジル、カナダやアメリカから輸入されています。

25th_oct_2008_800_14身が厚い鰺(あじ)で、これも美味しかったです。 関鯖や関鰺など、ブランド化して高級魚がありますが、一般論としてですが、産地偽装もかなりあると思われます。 一匹何千円もするはずですし、漁獲高も少ないですから、高級料亭などでしか戴く事が出来ないと思います。 居酒屋や炉端焼き店で、備長炭使用のお店の看板が掛かっていたりましますが、それらの多くの炭は、中国などから輸入されていますし、超高級魚のクエ(九絵)と偽って、アブラボウズを販売し暴利を貪る偽装表示違反の業者達も取り締まりしまりされていますが、ウナギと同様に、困った問題です。

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一人旅 in 博多 (3)

25th_oct_2008_800 2008年10且25日:ホテルル-トイン博多駅前で、好きなバイキング方式の朝食を戴きました。 鶏のから揚げ、スパゲティ、シシャモの干物、ハム、梅干、漬物、納豆、高野豆腐とシイタケとちくわと薩摩揚げのおでんと、味噌汁とご飯で、今日も長く歩きますので、しっかりと戴きました。

昨日訪れた付近には、700年もの伝統がある、博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)が毎年、7月1日から15日まで開催され、又、10月23日と24日に開催される博多おくんちなどの祭を行う櫛田神社(くしだじんじゃ)があるはずでしたので、地図で探しました。 

1_25th_oct_2009_800 そして、5月3日と4日に開催される博多松囃子(博多どんたく)も、この神社から出発します。

25th_oct_2008_800_2

本日は、博多おくんちの祭りの最後の日ですが、比較的静かでした。 鳥居をくぐり境内に入ると牛が神輿(みこし-神霊が移動する為に座る台)をひく為に、牛の石碑がありました。

25th_oct_2008_800_3 手水舎(ちょうずや・てみずや)は、荘厳な屋根にカバ-され、柄杓(ひしゃく)もまだ濡れていましたが、参拝者がまだ参拝していますので、少し待ってから本殿の写真を撮らせて貰いました。

 

25th_oct_2008_800_4 その本殿には、本殿側から観て(向かって観ると右側)左側には、天照大神((あまてらすおおみかみ)、真ん中には、大幡主神(おおはたぬしのかみ)そして右側には、素盞嗚神(すさのうのかみ)が祀られています。

25th_oct_2008_800_6 本殿の右側には、手水舎に集まった三羽のツルがあり、霊泉鶴の井戸と呼ばれ、本殿の地下から湧き出る不老長寿の霊水ですので、一口目は、自分の不老長寿を、二口目は、家族の不老長寿を、三口目は、親類縁者の不老長寿を願って、三口を戴く作法が看板に書いてありました。

三口が三羽を表し、ツルが長寿を表しているのですが、不老長寿が幸せかどうか、判りませんでしたので、私は飲みませんでしたが、本殿では手を合わせました。

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一人旅 in 博多 (2)

24th_oct_2008_800 2008年10月24日:東長寺の境内の五重塔の建立予定地の側には、史跡として福岡市が指定した、福岡藩黒田家墓所が在り、墓石が建っていましたが、写真は遠慮して、案内の看板のみを写させてもらい、お寺さんから移動する事にしました。

24th_oct_2008_800_2 幻住庵、西光寺、聖福寺へ通じる、西門で、ここからは一般車両は通行禁止になっており、この地区にお寺さんが集まっていましたが、拝観は許可されていませんでした。

信者達や関係者で無い一般客の拝観は、きっと読経や修行や瞑想の迷惑になると思いますので、仕方がないと思い通り過ぎました。

24th_oct_2008_800_4 西光寺の門です。

24th_oct_2008_800_5 歩いていると、その近くには、法然上人の浄土宗を、弟子の親鸞上人が継承発展させた宗派の浄土真宗の念仏のお寺さんで、西教寺がありました。 後で、ネットで調べると、同じ寺号(同じ名前のお寺さん)が全国各地区に点在している事が判りました。

24th_oct_2008_800_6 福岡市博多区の御笠川「みかさがわ、博多っ子は、石堂川(いしどうがわ)とも呼んでいる様です。」に架かる橋ですが、さいもんはしと書かれています。  私の脳裏をかすめたのは、「サイモンとガ-ファンクル」のサイモンでしたから、更に想像力を働かせて、きっとサイモンという白人が博多で偉大な業績を残したので、それを称えて橋の名称にしたと想いめぐらせましたが、まったく的外れでした。(笑)  この橋の名称の由来は、禅寺の聖福寺の西門の近くにあった橋だったからとかで、さいもんに橋をつけて、さいもんはし(西門橋)になった訳で、古い西門橋が江戸時代から利用されていた歴史があり、2001年に中空床版コンクリート橋が架けられたそうです。 

24th_oct_2009_800 福神の文字が入った画は、博多松囃子(はかたどんたく)の祭り際に、福神(ふくじん)のお面をかぶり乗馬しながら練り歩く様(さま)を表している様です。

24th_oct_2008_800_7 近くには、日蓮宗、西昌山、本岳寺の門が見え、松の木の後ろに本堂がある様で、入檀と納骨堂加入者受付中の看板がありました。 

24th_oct_2008_800_8 更に、浄土宗、善導寺の山門が見えました。  こちらのお寺さんでも、財政難の為かどうかは不明ですが、同様な募集中の広告がありました。 それぞれの各家庭の先祖代々の墓地や宗派の違いなどがあると思いますが、改宗して簡単に入壇(檀家になる事です。)出来るものなのかとも思い、己自身の娑婆とのお別れの事も具体的に考えるきっかけになります。

24th_oct_2008_800_9 ホテルに戻り、楽しい夕食を食べる為に、出かけましたが、何とラッキ-な事に、アイリッシュ・パブ、「ハ-フ・ペニ-博多口店」さんの看板を見つけました。

24th_oct_2008_800_10 早速、ギネス・ビ-ルとシングル・モルト・ウィスキ-、グレンフィデックを、若い感じの良いマスタ-に注文しました。 キャシュ・オン・デリバリ-で、現金と引き換えになっていて、英国と同じ支払い方法で、明朗会計ですし、外人さん達に気軽に立ち寄る様です。

24th_oct_2008_800_11 一見の客でも、喜んで持て成しをしてくれるマスタ-に、隣り座った博多っ子も話の輪に入って、楽しい一時を過ごす事が出来ました。 写真は恥ずかしいからと、カクテルを持っているポ-ズをとってくれましたので、そのまま撮らせて貰いました。

24th_oct_2008_800_12 そのパプを後にして、那珂川沿いに立ち並ぶ屋台に立ち寄り、腹ごしらえをして帰ろうと思いました。 午後9時を回っていますが、まだ沢山のお客さん達で活気付いていました。 屋台群の中で、行列の出来るラ-メン店、「一竜」さんには、今晩も行列が出来ていましたので、他のお店を探す事にしました。

24th_oct_2008_800_13 近くのある屋台で、お客さんが席を移動して、一つ席を作ってくれ、お礼を言いながら座り、焼酎と、博多では唐子明太子も有名ですから、それで作った明太子鰯を焼いてもらい、焼酎のつまみには最高でした。

24th_oct_2008_800_14 和風牛肉ステ-キも美味しかったです。

24rh_oct_2008_800 そして、最後に、コンニャクのおでんを二つと、豚骨ラ-メンを頼み、大変美味しく戴き満腹状態です。

24th_oct_2008_800_15 徒歩でホテルに戻る時に、那珂川沿いの屋台群を撮らせて貰いましたが、まだまだ賑わっています。 屋台の営業許可は、今の持ち主の代で終わり、代替わりの更新をさせない行政の判断の様ですが、博多の素晴らしい屋台文化の灯を消すのは、観光事業を縮小するのと同じ行為だと感じました。 (翌日の朝に同じ場所を歩きましたが、屋台はきちんと整頓され、川沿いの道路も綺麗に掃除されて衛生面も問題なく感じましたので、是非屋台の灯を減らさない様にしてもらいたいと思います。)

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一人旅 in 博多 (1)

24th_oct_2008_800 2008年10月24日:荷物もあるので、本日から宿泊する「ホテル ル-トイン博多駅前」に、地図を見ながら到着して、チェック・インを済ませ、シングル部屋に入りました。 シンプルですが、いろいろの備品もそろっているので、快適に過ごせると思います。

14th_oct_2008_800 早速外出し、街の散策に出かける為に、地下鉄の博多駅に行ってみました。 当駅構内のル-ト案内板を眺めていると、「祇園」の文字が目に飛び込んできましたので、そこまで行く事にしました。 5本の地下鉄が走り、空港線に乗ると次の駅が祇園駅で、大人一人片道200円です。

14th_oct_2008_800_2 姪浜駅行きの車両に乗り、隣の祇園駅で下車しました。 駅の壁の案内板には、前後の駅名とお祭りのイラストも書かれ、祇園祭のイメ-ジが湧いてきます。

14th_oct_2008_800_3 地下から地上に出て、国道202号線を5分ほど、キャナル・シティ-方面に向かって歩くと、浄土真宗 普賢山 「萬行寺」(まんぎょうじ)の荘厳な御門が見え、その横で、仏花も販売されていますし、信者さん達が頻繁に参拝している気配がありましたから、今回は、拝観を遠慮し、写真のみを撮らせてもらしました。 浄土宗(じょうどしゅう)を継承発展させた親鸞聖人(しんらんしょうにん)が、浄土真宗の開祖で、そのご本尊は、阿弥陀如来(あみだにょらい)で、浄土真宗の本願寺派(西本願寺派)に属している寺院でした。

14th_oct_2008_800_4 萬行寺の隣にも寺院がありました。 浄土真宗の本願寺派 袖奏山 順正寺(じゅんしょうじ)ですが、同じ宗派でも、両寺院がどの様に異なり関わりあっているのかは、判りません。

14th_oct_2008_800_5 そして、さらに、浄土真宗の本願寺派 善照寺(ぜんしょうじ)がありましたが、この地区には3寺院が集まっていました。

14th_oct_2008_800_6 弘法大師が開いた南岳山 東長密寺で、東長寺(とうちょうじ)とも云われ、真言密教が東の方に伝来する様にと祈願して名づけられ、最古の霊場です。 こちらは、お寺の出入り口の山門です。

14th_oct_2008_800_7 その山門の右手には、石碑が建ち、「弘法大師開基 真言密教最初霊場 東長密寺」と刻まれています。

14th_oct_2008_800_8 その山門の左手にも、石碑が建てられ、日本で最初の霊場と記されています。

14th_oct_2008_800_9 本堂も荘厳な造りで、不動明王、千手観音、南無大師遍照金剛がそれぞれ堂内に安置され、本堂の後ろに納骨堂が隠れています。

14th_oct_2008_800_10 日本最大(仏像の高さ:仏像の高さ10.8m、全高:16.1m)の木造の「福岡大仏」のボスタ-があり、参拝料無料と記されていますので、拝観する事にしましたが、参拝セット(御線香とろうそく)は、必要アイテムなので、それらを買い求めて参拝すると、大仏さんの後ろには、「地獄と極楽」巡りがありました。 左側の入り口から入ると、壁には、「三途の川」や「地獄絵図」が展示されており、アナウンスの説明に従って移動して行きましすと、トンネルに入りますが、中は真っ暗です、手すりづたいに左右歩くと、ぱっと視界が明るくなり、そこに極楽がありました。 「三途の川」や「地獄絵図」によって、人生の生き方の反省をし、「闇」の不安を体験し、その闇の体験により「明」の素晴らしさの感動、即ち、それが極楽と云う判りやすい教えでした。

    

14th_oct_2008_800_11 本堂前にある、六角の形をした六角堂には、弘法大師像、薬師如来像、白衣観世音像、地蔵菩薩像、文殊菩薩像、北辰霊符神像のそれぞれ六体の仏像が安置されている様です。 生憎、本日は、扉が閉まっていますが、毎月の28日に、六角堂の扉が開きますので、直接参拝が出来ます。 無計画の旅の為に、今回は、お目にかかる事が出来なく、残念でした。 自由リンクと事ですので、東長寺の境内や桜や六角堂の六体の仏像の動画を見る事が出来ます。(http://www.yado.co.jp/tiiki/fukuoka/toutyoj/movie01.htm

14th_oct_2008_800_12 摩利支天などが安置されている大師堂です。

14th_oct_2008_800_13 境内には、五重塔が建設中ですから、煌びやかな塔が完成する事でしょう。

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一人旅 in 宮崎・博多

24th_oct_2008_800 2008年10月28日:昨日は、旅の疲れで夕食も摂らずに熟睡した為に、すっかり疲れもとれて快適な朝を迎えました。 早速、バイキングの朝食を戴きましたが、とっても美味しかったですし、納豆が朝から戴ける事も嬉しいですね。 九州では、昔は、あまり納豆は食されなかったですが、人々の往来の歴史と共に、納豆は、関西以南でも定着した発酵食品になりました。

24th_oct_2008_800_2 宿泊先のホテルをチェック・アウトすると外の天気は曇り空でした。 当ホテルの近くに県庁公舎があり、露天商のテントが立ち並び、朝から賑わっている光景です。

                                      

24th_oct_2008_800_3 JR宮崎駅から出発する定期観光バス(福岡シティ-ライナ-)で、博多まで移動します。 午前9時半分の発車でしたので、一度、バスを降りて写真を撮らせて貰いました。

24th_oct_2008_800_4 バスの車内は、4席ですが、豪華な作りで、空席が充分にあり、ゆったりとした雰囲気で、私の気分は上々ですが、バス会社は、今朝の天気の様に曇り空です。

1_24th_oct_2008_800 当バスは、山間の道路を走っていますので、車窓からの山間の長閑(のどか)な風景です。

24th_oct_2008_800_5 宮崎県小林市にある、停留所で女性客一人を乗せました。

24th_oct_2008_800_6 小林を後にして、えびのインターチェンジ(宮崎県えびの市にある九州自動車道のインターチェンジ)まで走行し、そこでトイレタイムの為に一時休止です。

24th_oct_2008_800_7 えびのICのお店でミカンを買って、バスに戻りました。

Ic24th_oct_2008_800 北熊本ICでも一時休止で、12時8分のお昼の時間でした。  そこで、売店で、フランクフルト・ソ-セジ1本260円をかぶり付きました。 さらに隣の売店で、からしレンコン240円も戴きましたが、何と涙が出るほど美味しかったです。 辛い黄色のマスタ-ドが良く効いていました。bleah

Ic_24th_oct_2008_800 大宰府IC料金所ですので、もう少しで博多に到着します。

24th_oct_2008_800_8 博多に到着して、当バスを下車し、歩き出して、JR博多駅の写真を撮りました。

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一人旅 in 宮崎 (10)

23rd_oct_2008_800_5 2008年10月23日:宿泊ホテルでの朝食バイキングで、今日もバランスの良い和食でスタ-トです。 大根とキュウリの漬物、厚揚げの煮物(なすと一緒に煮たので青い色になっています。)、筍の煮物、玉ねぎとウインナ-・ソ-セ-ジの炒め物と塩サバ焼きを大皿に盛って、玉ねぎ、大根、にんじん、キュウリのサラダを小皿にとってから、納豆とトマト・ジュ-スを追加しお盆に盛ってテ-ブルまで運び、更にご飯と味噌汁をついで、食事を始めました。 こちらのホテルでは、ナイフやフォ-クと同じ様に再使用されたハシが用意されています。

23rd_oct_2008_800_2ホテルの玄関前を撮らせて貰いましたが、テラスも含めてとてもモダンな作りで、しゃれた雰囲気が漂います。 (宿泊した、宮崎市のこちらの当ホテルパッシオーネ宮崎は、2009年6月1日から「エムズホテルクレール宮崎」』に変更予定の様で、ホテル経営の複雑さを感じます。) シングル部屋には、バスタブはなく、シャワ-とLAN設備があり、私の様にシャワ-のみしか毎朝使用しない長期滞在者にとっては、宿泊料金が安く設定され、食事や清掃や応対も良く、快適に過ごす事が出来ます。

23rd_oct_2008_800_3生憎、今日は雨なので、タクシ-に乗り、映画でも出かける事しましたが、初乗り運賃の設定が500円で、びっくりしました。 「ジャスコ」の建物は、4070台も駐車が可能な大駐車場を備えた郊外型の大型ショッピング・センタ-で、そこまでの料金は1430円でした。

映画は、「イ-グル アイ」で、URLは、http://www.eagleeyemovie.com/intl/jp/  です。

23rd_oct_2008_800_4回転寿司店に立ち寄り、揚げナスのにぎり、鯵のにぎり、炙りサ-モンのにぎり、鶏のから揚げ、マグロのにぎりと納豆メカブの軍艦巻きでした。 写真は、そのマグロにぎりで、ほどよく脂がのつています。

又、タクシ-でホテルに帰り、午後3時過ぎから翌朝の6時まで、熟睡しましたので旅の疲れがとれた感じでした。

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一人旅 in 宮崎 (9)

22nd_oct_2008_400_22008年10月22日: 昼食を戴く為に、入店すると、壁に、2007年度国際審査会優秀味覚賞受賞、麦芽100%、手作り、無濾過、酵母が香る贅沢なビ-ルのキャッチ・コピ-が書かれた大きな、ポスタ-に誘われて、そのポスタ-を見ていると、お写真を撮りましょうかと、気さくに声をかけてくれましたので、早速お願いしました。

2_22nd_oct_2008_800_2 その地ビ-ル、「ひじでビ-ル」の中から、きつね(ピルスナ-)瓶ビ-ルを一本頼みました。 ちょっと苦味のあって、こくがある美味しいビ-ルでした。

22nd_oct_2008_800_7 つまみには、玉ねぎ合えの地鶏の炭焼き(600円)を美味しく戴きながら、きつねビ-ルをぐぃっと戴きました。 歯ごたえがあり、肉汁の美味しさが口の中で広がり、やっぱり、東国原知事が宣伝していた通りに、宮崎の地鶏は、評判通りでした。

22nd_oct_2008_800_8 次に、こちらで有名な、カツオ・ラ-メンを注文すると、ユズ胡椒の薬味とカツオの切り身が付いた、カツオ出汁の醤油ラ-メンが出てきました。 ちょっと甘めス-プを塩の効いたユズ胡椒の薬味で味の調整をし、カツオの切り身を乗せて戴きました。 私個人としては、普通の醤油ラ-メンと醤油タレに浸けたカツオの切り身とご飯が良かったと思ったのが率直な意見でした。 

ユズ胡椒の美味しさは、抜群で、お店にはお土産として、そのユズ胡椒は置いてなかったので、他店で、2瓶求める事が出来ました。 無人駅の青島駅に戻り、気動車に乗り宮崎駅で降りて、ホテルまで戻りました。

1_22nd_oct_2008_800_2 夕方になり、一昨日に立ち寄った、小料理屋、「大はし」さんを見つける事が出来て、入店しましたが、始めての客でないので、気が楽です。

22nd_oct_2008_800_9 イモ焼酎の水割りと、煮物を頼みましたが、しゃれた器に盛られていました。

22nd_oct_2008_800_10 いわしの刺身で、皮が剥かれたいわしは、光っていましたので、正に鮮度の良い光物です。

22nd_oct_2008_800_11 マグロの刺身です。

22nd_oct_2008_800_12 アマダイの焼き物です。

22nd_oct_2008_800_13 辛子明太子を戴きました。




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一人旅 in 宮崎 (8)

2008年10月22日:

22nd_oct_2008_800 青島神社社内の右手には、元宮(もとみや)があり、青島神社の元宮と云われ、元宮跡地からは、弥生時代の土器や獣骨が出土したそうです。

22nd_oct_2008_800_2 元宮の側の道、「御成道」(おなりみち、明治時代から平成までの沢山の皇室達が参拝の為に歩いた道)を進むとうっそうと茂っている、ビロ-の樹が沢山あり、青島全島で約5000本あるそうで、その事を説明した看板です。

22nd_oct_2008_800_3 素焼きのお皿を投げて吉凶を占う、投瓮所「とうかしょ」がありました。

22nd_oct_2008_800_4 左側に、参詣者が身を清める為に、手や口をすすぐ手水舎があり、中央に神門が見えますが゜、拝観は終わりましたので、戻る事にしました。

22nd_oct_2008_800_5 宮崎市のドーム型リゾート施設「シーガイア」と思われる屋根を望遠で捉えました。

22nd_oct_2008_800_6 青島ビ-チのずっと向こうには、ウィンド-・サ-フィングをしているサ-ファがいます。

青島を後にして、本土側に戻ると「青島亜熱帯植物園」がある事が判り、そちらに立ち寄りたいと思います。

1_22nd_oct_2008_800 その植物園に通じる道路脇の野良猫君が横切ろうとしていましたが、正座をしてこちらを見てくれました。 野良猫なのに、とっても穏やかな顔を見せていますが、きっと餌も豊富にあり、気候も温暖の為に、野良猫としての生活苦が少ない為かもしれません。 我が家の居候猫君は、アメリカン・ショ-ト・ヘアの雑種ですので、野良猫君にもう少し濃い縞模様を体全体に描いた感じですが、顔の表情はもう少し険しいです。

3_22nd_oct_2008_800_2 18分後にもう一度被写体になってもらいましたが、猫君として、とってもいい表情をしています。

22nd_oct_2008_800_7 当植物園の庭に咲いているハイビスカスで、真っ白な色で清潔感があります。

22nd_oct_2008_800_8 喉も渇いたので、庭園内にある、アイスク-リム屋さんで、一つ注文し、手に持って貰いました。大盛のアイスを持って、すぐ側のテ-ブル付きの椅子に腰掛て小休止です。 マイペ-スで、詳細な計画も無く、ゆったりと散策する一人旅の醍醐味をアイスと共に味わっています。

22nd_oct_2008_800_9 鮮やかな黄色のハイビスカスで、天気も良いので、写真日和でもあります。

22nd_oct_2008_800_10 ピンク色のハイビスカスで、自然が造る素晴らしさを実感できます。

22nd_oct_2008_800_11 そして、燃える様な真紅のハイビスカスは、目が覚めるような美しさです。

22nd_oct_2008_800_12 今日は私にとって吉日のですと言うのはちょっと大げさですが、当植物園は、本日は無料で、しかも玄関前には、宮崎のセ-ルス・マン、東国原県知事のお出迎えです。 

22nd_oct_2008_800_14 当園内で目に留まったのは、ハマユウで、茎の横から、細長い白い花が出ていました。

22nd_oct_2008_800_15 バナナの種類は、不明です。 茶色のラクビ-ボ-ルの様な形をしたのが先端に付いていますがその茶色の皮と皮の間に、花が咲いて、大きくなってバナナになります。

パパイヤの実で、原産地はアメリカですが、沖縄では、まだ熟れていない、青いパパイヤを炒め物などに利用しますが、ハャキシャキしていて美味しいです。皮に傷をつけると、白い液が出るので乳瓜(ちちうり)とも言われるそうです。

22nd_oct_2008_800_16 マンゴ-の木ですが、実は生っていませんでした。 東国原知事の宣伝効果もあり、宮崎のマンゴ-は一躍有名になりましたが、赤く熟れたマンゴ-は、大変美味しそうですが、高価の為に、私はまだ試食をしていません。

22nd_oct_2008_800_17 クダモノタマゴの木と書かれていますが、変わった名前です。

22nd_oct_2008_800_18 タマゴノキと呼ばれる木もあります。

22nd_oct_2008_800_19 フトモモと呼ばれる木です。

22nd_oct_2008_800_20 ソ-セ-ジの木もありました。

22nd_oct_2008_800_21 アラビア・コ-ヒ-の木です。

22nd_oct_2008_800_22 コガネタケヤシと呼ばれますが、まさにそのままの印象を言葉に表した感じで、名前の覚えやすさはあります。

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一人旅 in 宮崎 (7)

2008年10月22日:

22nd_oct_2008_800 宮崎県宮崎市青島ビ-チは、青島(あおしま)がある為に穏やかな波と、水質、自然環境、景観や安全性などから、環境省によって「日本の水浴場88選」に選ばれ、夏には素晴らしい海水浴場になりますが、そのシ-ズンも過ぎましたので、今は、サ-ファ-達で賑わっていました。

22nd_oct_2008_800_4  左手の弥生橋を渡ると青島で、宮崎県青島神社の鳥居の手前では、露天商のテントが写っていますが望遠で撮りましたので近くに見える感じがします。 右手には、波によって自然に彫刻された、天然記念物の「鬼の洗濯板」も見えます。

22nd_oct_2008_800_6 弥生橋の欄干に寄って右側の「鬼の洗濯板」の写真です。

22nd_oct_2008_800_7 少し先に歩いてから撮った右側の「鬼の洗濯板」です。

22nd_oct_2008_800_8 弥生橋の中央から、青島に向かって撮った写真で、左右に「鬼の洗濯板」が見えます。 江戸時代まで一般人の参詣が許されなく禁足地になっていた周囲1.5Kmの青島には、187種類もの自生植物が生い茂り、最高樹齢300年にも含む4300本以上のビロウの木が、群生地の1/6を占め、青島神社と日向神話館(ひゅうがしんわかん)があります。

2_22nd_oct_2008_800 青島駅から徒歩で15分程度で行けるようですが、道草をしながら行きました。 青島神社の石碑が見えてきました。 有名な観光地になっていますから、足腰の弱い人達の為に、有料と思われる人力車も見かけました。 組合に入ってない人力車だと、法外な値段を要求する事もあるようですから、利用の際には、事前に料金を確かめる事が必要です。これは、ここだけの話でなく、海外でも同じ事です。

22nd_oct_2008_800_9 鮮やかに朱色に塗られた神門がありました。 鳥居からは本殿まで神の道が続いていますので、道路の真ん中は、神が歩く道ですので、左右どちらかに寄って歩き、敷居は踏まないで跨ぐ(またぐ)のが参詣のマナ-です。

A_22nd_oct_2008_800 各方面から到着した観光バスからはバスガイドさんと共に沢山の観光客の人達と、青島に架けた橋で、すれ違い本殿前は多くの参拝客が、一杯で肖像権の事もあり、勝手に写真が撮れませんでした。 しかし、一瞬ですが、雲の切れ間みたく、本殿前には誰もいないシャッタ-・チャンスがありました。 1974年(昭和49年)に再建された本殿には、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、塩筒大神(しおづつのおおかみ)が祭られ、山幸海幸の日本神話に基づき、縁結び、安産や航海安全を祈願が出来ます。 又、左手には小さな石神社(いそじんじゃ)があり、豊玉彦命(とよたまひこのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が祭られ、右手には小さな海積神社(わだつみじんじゃ)があり、彦火瓊瓊杵命(ひこほのににぎのみこと)、木花咲屋姫命(このはなさくやひめのみこと)、磐長姫命(いわながひめのみこと)が祭られています。 

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一人旅 in 宮崎 (6)

2008年10月22日:

22nd_oct_2008_800_4  スナックのママさんに教わった情報を基に、宮崎県青島神社の拝観と青島駅前のお店屋さんで昼食をする為に、斬新的なデザインの宿泊先のホテルでの朝食は、納豆、水菜、大根、トマト、キュウリ、ポテト、大豆、ソ-セ-ジ、焼きサバ、揚げ餃子、キムチを皿に盛って、オレンジ・ジュ-スをコップに注ぎ、汁とご飯でしたので、健康的でバランスの取れた食事でした。

22nd_oct_2008_800_5 ホテルを出発してJR宮崎駅までディバッグを背負って歩きますが、遠回りしながら街の様子を眺めました。 やはり強烈に印象に残るのが、宮崎県の自転車専用道路を設けている事で、なんとも羨ましい行政方針ですが、移住者組も多いのもうなずけます。

22nd_oct_2008_800_6 JR九州の日南線(にちなんせん)の駅で終着駅、志布志駅(しぶしえき)行きのディゼル車両の一両編成に宮崎駅で乗車し、青島駅までは、30分ほどで到着しました。

22nd_oct_2008_800_7 宮崎県を代表する河川である大淀川(おおよどがわ)の水量が豊富で太平洋へ流れ込んでいますが、その鉄橋を渡りながらの車窓から撮りました。

22nd_oct_2008_800_8 切符のデザインや運賃も時と共に変わっていきますので、旅の思い出として撮りましたが、30分の乗車で360円ですが、将来インフレになれば、この運賃は安く感じるに違いありませんが、それを感じる時まで、私自身がこの世に生存しているか神のみが知るです。

22nd_oct_2008_800_9 青島駅(あおしまえき)に到着し、紹介された駅前のお店はすぐに判りましたが、まだ11時4分でしたので、暖簾が出ていませんでした。

2_22nd_oct_2008_800 青島駅の正面で、無人駅なんです。

22nd_oct_2008_800_11 駅の左手に青島ビ-チと長い遊歩道があり、右手には白浜地区があり、その真ん中の道路を行くと弥生橋(やよいばし)が、青島を繋いでいる様ですので、駅前のその看板の地図に従って歩き出しました。

22nd_oct_2008_800_10駅前の道路内に、いかにも人工的な小川がちょろちょろと流れていますが、青島浄化センタ-で下水処理された水を再処理して、「よみがえる水」として展示されていました。

22nd_oct_2008_800_12 そして少し歩くと、看板の地図にも載っていましたが、拝観料が無料の青島亜熱帯植物園の看板がありました。

1_22nd_oct_2008_800 ユリが満開で、黄色の花が鮮やかに咲き誇っています。

2_22nd_oct_2008_800 薄いピンク色のユリだと思います。

22nd_pct_2008_800 サトイモ科のクワズイモと思われます。 様々な亜熱帯の木々が植えられ、名前もわかりませんので、パスして進みました。

22nd_oct_2008_800_13 すると、当園内に俳人、金子兜太(かねことうた)の句碑があり、「ここ青島鯨吹く潮われに及ぶ 兜太」と刻んでありました。

22nd_pct_2008_800_2 日向灘には鯨は見ませんでしたが、海岸線には、釣り人達が糸を垂らしていました。

22nd_oct_2008_800_14 新鮮な海老が餌ですから、私も生唾が出てしまいました。

22nd_oct_2008_800_15 本土と青島を結ぶ、弥生橋で、右手の方には、鬼の洗濯岩(洗濯板)が見えます。

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一人旅 in 宮崎 (5)

2008月10月21日:

21st_oct_2008_800 宮崎神宮が所有している、宮崎県内巨樹百選に選ばれた「ラクウショウ」の樹齢は100年、幹周は460cm、樹高は24mと詳細が書かれた看板が、巨木の横に立っていました。

左足のくるぶしの痛みが消えたのは、宮崎神宮の参拝の故かもしれませんが、ゆっくりと歩きながらホテルに戻りました。

21st_oct_2008_800_2 一休みしてから、昨日立ち寄った小料理屋、「さかなや 大はし」さんのお店を探しましたが、通りを間違えたのか、見つける事が出来ませんでしたので、近くの食堂で、肉そばを戴きました。 そばを啜っていると、沖縄のソ-キそばを思い出しました。 コンビで、焼きそばと野菜ジュ-スを買ってホテルに戻りました。

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一人旅 in 宮崎 (4)

2008年10月21日:

宮崎県靖国神社:靖国神社前身東京招魂社で、英語圏では、「Yasukuni shrinewar shrine」と訳されています。は、戊辰戦争ぼしんせんそう、明治新政府が江戸幕府の勢力を一掃した戦いで、戊辰は05を意味し、慶応4年/明治元年の干支が5になる為に、戊辰戦争と云われ、薩長と幕府の主導権争いによる「鳥羽と伏見の戦い」、会津藩と庄内藩の処分争いによる「東北戦争」そして旧幕府勢力が最後まで抵抗した「箱館戦争」が戊辰戦争で、それらの戦争の終結によって薩長と土佐藩や佐賀藩など薩長協力藩の藩士達が、日本を近代的な天皇制中央集権国家を創っていく事になります。)多くの戦死者を祀る為に、大村益次郎(おおむらますじろう、幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者でもあり、長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し勝利に導き、後に日本陸軍の建設の祖とも称されました。)によって、提案され、明治天皇の命により、1869年(明治年)に創設されました。 その後も、1853年のペリー提督の浦賀来航以降の内戦による戦死者から、日本国内外で亡くなられた戦死者まで、慰霊の追悼と顕彰する為に、靖国神社は、現在も、そのシンボル的な存在となっています。

靖国神社問題:

上記の様な創設の背景がありますが、実は様々な問題を抱えています。

  1. 政教分離の問題:                                            「国に殉じた戦死者に対して、内閣総理大臣、国会議員、都道府県知事などの公職にある者が公的、又は、私的に靖国神社に参拝し、感謝し、平和を誓うのは当然と云う意見もある一方で、日本国憲法の政教分離原則に対して違憲である意見も多々あります。 

  2. 歴史認識や植民地支配の問題:                                   靖国神社に参拝する事は、戦死者を英霊としてあがめ、戦争自体を肯定的にとらえる神社の歴史観を肯定する事になり、参拝自体が中国、台湾、朝鮮半島や東南アジアの人たちに不快感を与え、外交的な摩擦も生んでいる事も事実ですし、極東国際軍事裁判で戦争犯罪人として裁かれた人々が合祀(ごうし)されている事も近隣諸国や国内の反発もあります。

  3. 戦死者と戦没者の慰霊問題:                                     国家的規模の慰霊施設が無い為に、第二次世界大戦で亡くなられた軍人や軍属を、戦前から引継がれれている神道の靖国神社に祭っている事や他宗教の戦死者の遺族から合祀が拒否され、解決されていません。

21st_oct_2008_800 全国に靖国神社は、52社あり、明治維新の時代に創設されたそうですが、宮崎県のみが諸般の事情で遅れ、1943年(昭和18年)に着工し、敗戦の1945年(昭和20年)に、占領軍の命により建設が中止され、宮崎県民からの要請により、1955年(昭和30年)3月10日に竣工し、その鳥居をくぐるとその先に本殿があります。

 

21st_oct_2008_800_2 その宮崎県靖国神社の本殿前には、賽銭箱が設けられ、右手には、おみくじを引く赤い箱がありました。 私は参詣(さんけい、神社仏閣に参る事。)はしますが、宗教が異なる為に、参拝(さんぱい、お参りして神仏を拝む事)はしませんので、写真だけ撮らせて貰いましたが、宗教行事として、慰霊祭、厄除開運、社運隆昌、家内安全、車のお祓い、交通安全、地鎮祭、竣工祭、新宅清祓式、諸事始清祓式、神葬祭、年祭、氏神祭などを執り行っています。

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一人旅 in 宮崎 (3)

2008年10月21日:

21st_oct_2008_800 宮崎科学技術館を後にして、昼食の為に、豚骨ラ-メンと餃子を頼みました。 九州では、大抵豚骨のス-プですので、大変美味しく、口直しに、タクワンが付きました。

21st_oct_2008_800_2焼きたての餃子ですので、とても美味しいです。  さて、これから、宮崎神宮の拝観にいざ出発です。

21st_oct_2008_800_3 度々、地元の人達に、道順を教えて頂き、一の鳥居までやって来ました。 参道は、真っ直ぐな梛(なぎ)の並木の歩道と車道になっていて、車やバスが行き交っています。 銅板で覆われた鳥居の大きさは、かなりあり、カメラに収まらなかったので、後ずさりして撮らせて貰いました。 平和公園と総合文化公園も、宮崎神宮(総合博物館の広大な敷地の、ほぼ真ん中にあります。)と同方向にある様で、道路標識が、鳥居の真ん中に小さく写っています。 

その参道を歩いている最中に、左足のくるぶしが少し痛み出しましたので、遠くまで歩く事への不安を覚えながら、ゆっくりと歩き続けました。

21st_oct_2008_800_4 やっと宮崎神宮の石碑が見えてきました。

21st_oct_2008_800_5 左足の痛みの為に、小休止しようと思い、すぐ側に、お土産屋さんを兼ねたレストランに入店しましが、太い丸太のログハウス作りの二階がレストランになっていて、あんみつを頼みました。 アイスクリ-ムは、ほてった体を冷やしてくれて、爽快感も味わえ、黒蜜の甘さも疲れた体にはエネルギ-になりました。

 

21st_oct_2008_800_6

更にお茶とアイスクリ-ムが付く無料サ-ビスもラッキ-でした。

21st_oct_2008_800_8                                                     境内の大広場には、二の鳥居があり、その側には、五所稲荷神社がありました。 朱色に塗られた木造の鳥居が大きさの順番にずっと並んでいます。

21st_oct_2008_800_7その二の鳥居です。 その大広場には、砂利がひかれ、ゴミ一つありませんでしたから、地域の人々の信仰度の高さを推し量る事が出来ます。

21st_oct_2008_800_9 二の鳥居をくぐると、砂利道の参道の両脇には、うっそうとした森の様な並木になっていて、陽がさささない参道の砂利を踏みしめる音だけが聞こえ、静寂な空気が漂っています。 しばらく歩て行くと、その二の鳥居になりますが、一の鳥居に比べて、大きさが小さくなっています。

21st_oct_2008_800_10 参道を歩く途中で、宮崎神宮祭りに奉納された、古代船、「おきよ丸」を見つけました。70社前後の地元企業の寄付によって造られた木造船には、残念ながらビニ-ル・シ-トで覆われていましたが、保存するには必要な処置です。

21st_oct_2008_800_11 地元では、「神武さま」と親しみを込めて、宮崎神宮をそう呼んでいますが、神武さまのお祭りが近々催されますので、そのポスタ-です。

21st_oct_2008_800_12 その参道を抜けると視界がぱっと広がり、立派な屋根がかかった手水舎があります。 参詣者が身を清める為に、手や口をすすぐ場所で、神社仏閣の参道脇や社殿脇に設置されています。

21st_oct_2008_800_13 丁度巫女さんが神門に向かい、若いカップルが神門をくぐり、幼児を連れた若いママさんが参拝されていました。 金色に輝く菊の紋章が入った扉は、開放状態ですので、入門する時には、見えませんが、退門する時に見る事が出来ます。

21st_oct_2008_edited_800 信仰の対象になっている宮崎神宮(みやざきじんぐう)は、結婚式や厄払いにも利用され、市民生活と共にあります。 現在の社殿は、明治40年に造替され、宮崎産の杉の大木が使用されていますが、風化も少なく威風堂々な造りになっていますが、初代天皇、神武天皇を主祭神とし、父母も祭れているそうです。

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一人旅 in 宮崎 (2) 

2008年10月21日:

21st_oct_2008_400 宮崎県県庁公舎:宿泊先のホテルからすぐ近くにある県庁公舎ですが、観光バスも敷地内に停車する、新しい観光スポットになり、観光客も訪れていますが、公舎内の見学については、20名以上の県内の団体と20名以上で、宮崎県内に宿泊する旅行会社等が企画するツアーの県外団体を対象にしています。 ですから、個人による県庁公舎の見学は出来ないので、建物の外観を撮らせて貰いました。 丁度、団体見学ツァ-の人達が、玄関口から入りつつありますし、観光バスや車の誘導の為に、誘導係りの人数も多い様でした。

21st_oct_2008_800 宮崎駅に通じる国道の一部に、自転車専用道路が設けられていますので、自然環境を配慮した街づくりになっている事が判ります。 全国的に自転車専用道路を増やすと、市民の健康も自然環境も改善される街つくりを推進して貰いと思いました。

21st_oc_2008_800 宮崎駅構内を抜けると、ガ-デニング・センタ-がありましたので、ちょっと立ち寄り、様々な花を観賞して、その隣にある、宮崎科学技術館に移動しました。

 

21st_oct_2008_800_2 敷地内には、HLV-I型の大きなロケット(実物大の模型)がそびえ立っていました。 

21st_oct_2008_800_3 館内に入るとすぐに、左手方向に、アポロ月面着陸船、ジェミニ・カプセル(実機を制作した米国グラマン社が実物大の模型を制作担当)は、月面離脱船でもある宇宙船が展示されていました。 米国NASAが打ち上げし、1969年7月に人類史上初めて、月面着陸に成功しました。

1_21st_oct_2008_800帰還用カプセルの全体像です。

2_21st_oct_2008_800 狭い空間に閉じ込められた感じのカプセルです。

1_21st_oct_2008_800_2 原子力発電を説明した看板があり、「石油と石炭などの化石燃料を使わない原子力発電は、C02を出さずに私達のエネルギ-である電気をつくることができます。地球温暖化をこれ以上進めないためには、原子力発電が必要です」と書かれていましたが、放射能の毒を無害化する技術も無く、危険な使用済み燃料を何万年も保管し続ける事には、まったく触れらずに、CO2を出さないから原発が必要とは、飛躍のし過ぎです。 地熱、風力、波力や太陽と様々なエネルギ-によって電力を作る技術の開発こそが必要で、省エネ技術も同時に進歩させて、原発の稼働台数を軽減していく事こそが、未来の指針であると強く思いました。

2_21st_oct_2008_800_2二酸化プルトニゥム(PuO2)と二酸化ウラン(UO2)とを混ぜたMOX燃料は、元々、高速増殖炉の燃料として使用されるはずでしたが、その増殖炉の事故続きと、原爆の原料になるプルトニゥムが毎年増える事は、国際上問題がある為に、MOX燃料を、既存の原発(軽水炉)用として加工し、ウラン燃料の代替として使用しているのが現状ですし、高レベル放射能廃棄物の最終処分場も決まらず、毎年廃棄物が増え続けています。

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一人旅 in 宮崎 (1)

2008年10月20日:由布院より宮崎に移動

由布院駅の隣には、大きな女子トイレがありましたので、もしかしたら、以前にあったと思われる隣の男子トイレを改造して、女子トイレの数を増やし、その為に男子トイレを新たに作ったのかもしれません。 もしそうだとすると、今の男子トイレが、駅から約30mほど離れてる理由になります。 いずれにして、それほど由布院は女性に人気がある観光スポットなんです。 今日は、真紅色をしたワン・マン・カ-の車両で、由布院駅から大分駅まで戻り、大分駅11時10分発の特急「にちりん9号」に乗車しました。 その車両が発車してまもなく、製紙会社の旧鶴崎パルプ工場を通過し、現役時代に製紙関係の仕事でしたから、懐かしさがこみ上げてきましたが、そんな一時的な感傷も、車輪の音と共に、後ろに飛んでいってしまいました。 宮崎駅に14時23分の到着して、地図を頼りにホテルパッシオ-ネ宮崎まで15分位の道程を、表通りに沿って歩いて到着しました。 白亜な建物にかがり火を焚いたモダンなレストラン付きのホテルで、フロントもモダンな作りでした。

楽しい夕食の時間ですが、食欲によって、満たされたエネルギ-の消費は、身軽ですとマラソンか歩行時間を増やす必要がありますが、毎日、半日間、重たいバッグを担いで街の散策して消費していますし、糖分を吸収しくいサプリを毎食時に飲み続けていますので、エネルギ-・バランスをとっています。

1_20th_oct_2008 夕方に立ち寄った小料理屋、「さかなや 大はし」さんでは、一見頑固そうな親父さんでしたので、カサゴの事を聞きそびれてしまいましたが、地鶏刺し、地鶏塩焼きや地鶏のポン酢などの鶏料理もありましたが、まず刺身の盛り合わせと焼酎を頼みました。 

その後に、写真を載せていませんが、芋焼酎2合、イカの塩辛とトマトも戴いた頃から、やっと、そのお店の親父さんが口を開き、私に、絵描きさんですかと尋ねましたので苦笑してしまいました。 だって、絵の才能がない事を自分が一番よく知っていますから。

2_20th_oct_2008 宮崎の地鶏も美味しかったでしすし、この小料理屋さんは、隣で魚屋さんも一緒に経営されているので、魚が安く美味しく戴けるお店なのでした。

(翌日に、その地鶏の事を家内に通話料が無料のPHS電話で、その事を報告しまた。

私 :「頑固そうな親父さんがやっている小料理店で、地鶏を頼んで食べたら、肉に弾力が あり、うま味があってとっても美味しかった。」

家内:「へぇ、そうなの。 良かったわね。」

私 :「そう言えば、東北である店主が地鶏の薫製と言いながら、実は廃鶏の肉だった事が明るみに出た事件があったよね。 これも廃鶏の肉かなぁ。 もし、そうならば地鶏じゃあないよね。」

家内:「ブラジル産でなければ、ぜ~んぶ地鶏よ。 宮崎の土地で育った鶏ならば、どんな鶏でも、全て地鶏ですよ。」

私: 「・・・・・・・・・」と沈黙し、あっははと大笑いでした。

家内のユ-ウモァのあるコメントでした。)

私が小学校の低学年の時に、父親が、飼っていた鶏を絞めて解体した事の記憶が残っていますが、どんな風にして食べたのか記憶がありませんが、その後に、おじさんが、捕鯨船に乗っていたので、生の鯨とみそ漬けの鯨を沢山貰い、食べ続けました。 勿論、家庭用電気冷蔵庫は無く、氷を買って入れる冷蔵庫がある家庭もありました。そんな時代の方が、精神的に豊かでした。

3_20th_oct_2008 最後に、ナスの煮物を食べて、お店を後にしましたが、何百軒の飲食店から、この様な美味しいものが戴けるお店を探すのは、大変ですが、それも楽しい事です。 

日照時間が長く、海と山がある為に、日々の生活に困らない環境ですから、宮崎に移住されいる人達も多いですとよ、小料理屋さんの親父さんのコメントでした。

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一人旅 in 由布院

2008年10月19日:由布院

別府駅から日豊本線(大分行)の各駅電車に乗り14分ほどで大分駅に到着し、久大本線(由布院行)の乗りえて由布院駅までおよそ1時間ほどの乗車です。 大分駅から発車する車両の車体は明るい黄色に塗られ、1両編成のディ-ゼル・カ-で、座席が埋まる程度の乗客を乗せていざ出発です。 静岡県富士市在住の友達のSさんが奥さんと一緒に由布院の温泉街を楽しんだ話を思い出し、今回の旅で足を延ばす事にしたんです。 車窓からは、水田や畑と山々を眺める田園風景が延々と続きましたが、突然大きな街が見えてきました。 それが由布院でした。 

モダンな作りのJR由布院駅舎から出ると、観光用馬車が乗客を待っていますし、観光地の為に沢山の人たちも、駅前に屯していました。 メイン通りを歩きながら、食堂を探していますが、お昼時ですからどこも混雑していました。 偶々、目に留まったのが、うどん屋さんで、そのお店に入り、北海道産の小豆を使ったおはぎとうどんを注文しましたが、おはぎは甘みを抑えた上品な味に仕上がっていましたし、うどんの歯ごたえも良かったです。 観光地の為に、ホテル代が高いので、今回は一泊して、宮崎に移動する事になります。 地図を頼りにある事10分程度で、本日宿泊する「とよとみ壮」に到着しましたので、荷物を預けて、街の散策です。 焼き物屋さんのお店があり、直販店なので、お安いですよと呼び声で、冷やかし半分で立ち寄りましたが由布院の釜で焼かれた花差し(祥納蘊釜)が気に入り、色違いを二つほど買い求めてました。 

1_19th_oct_2008_ そしてその後に、ド-ム型をした美術館に入館して、水彩画を葉書に描けるコ-ナ-があり、何十年ぶりに筆をとりました。 描き終わってから、更に散策を続けると実物大の水車小屋がありましたが、そこはレストランでしたので、ちょっとがっかりしましたが、気を取り直して、近くを流れる「大分川」の両岸は、白やピンクの花を付けたコスモスが咲きみだれ、サギの姿も見る事が出来ました。 何とのどかで素晴らしい風景なんでしょう。

 

しばしの感動をした後に、近くのお寺さんを拝観してからホテルに戻り、部屋に案内されましたが、大昔の安アパ-トの様な木製のドァ-を開けると、その部屋は6疊ほどの和室で、ノスタルジックな雰囲気を醸し出していました。 早速、温泉の湯船に一番で入ろうと、脱水所の外戸に入浴中の看板をかけてから、風呂場に入りました。 でも、湯船のお湯が熱すぎて、相当量の水を入れないと、火傷しそうな熱さでしたので、体にかけ湯をしただけで風呂場を出てから部屋に戻る途中で、合宿しているらしい若い団体さん達とすれ違い、ホテルで飼われている犬にも歓迎されましたが、このホテルでは、スポ-ツ選手の合宿によく利用されている様でした。 

1_19th_oct_2008__edited 一休みして、午後6時半からホテルの夕食と焼酎を戴き部屋に戻りました。 

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一人旅 in 別府 (2)

2008年10月18日:別府タワ-見学

ホテルの朝食は、おにぎりと味噌汁で質素ですが、美味しかったです。 ホテルを出てから別府湾に向かって歩き出すと、大型ス-パ-の「マクドナルド」の新作メニュ-を食べてみたいと思い入店しましたが、11時からの販売との説明でしたので、そのビル内の他店舗を見ながら時間つぶしをしていると、美味しい匂いに誘われてしまい、フ-ドコ-ト内にある店で、野菜てんぷら、ワカメうどん、大根おろしとメカブ、更に生ビ-ルも注文してしまいました。

腹ごしらえを終えて、ぶらぶらと歩き出し、別府のランドマ-クとして今年で51歳を迎えた、高さ100mの別府タワ-(国の登録有形文化財)が目に留まりました。 入場料200円を支払い、エレベタ-で展望台に登り、別府湾が眼下に広がって素晴らしい景色でした。 タワ-の近くは、的ケ浜公園があり、幼児と共に若いママさんが遊ぶ風景は、心を和ましてくれます。 その後に別府駅近くまで戻り、インタ-ネット・カフェに入店して、登録を行い、3時間で1080円を支払ってメ-ルや某SNSへのコメント書きをしてから、ホテルに戻り、ランドリ-室で自動洗濯機(洗剤自動混入式)に200円を入れて、洗濯しました。 

夕食する為に、小料理屋さんに立ち寄り、ちょっとスナック・バ-によって早めにホテルに帰りました。 

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一人旅 in 別府 (1) 

小倉に2泊してから、2008年10月17日の今日は、小倉から電車を乗り継ぎ、別府まで移動しました。 

17th_oct_2008 JR別府の駅構内の料理店で、遅いお昼ですが、鯛のカマの煮付け定食と、サバの刺身(一皿2500円)を戴きましたが、とっても美味しかったです。

17th_oct_2008_2 関サバの看板を出していますので、豊予海峡[(ほうよかいきょう、大分県大分市(旧佐賀関町)の関崎と愛媛県伊方町(旧三崎町)の佐田岬によって挟まれる海峡]の近くで捕れたブランド化した鯖と思います。 只、私にとっての難点は、此方の醤油は、私の口には、合いませんので、持参した醤油で戴きましたので、大満足です。

食事を終えて、JR別府駅西口から見える徒歩ホテルフジヨシにチェック・インをして、男女別架け流しの展望温泉で疲れをとろうと思っているうちに、夜になってしまい、街に出かけました。 あちこちと散策して、市内のこじんまりした上品な小料理屋さんの暖簾をくぐりました。 そのお店の旦那さんは、最初はとっても無口でしたが、魚の話から入ってすっかり打ち解けて、談笑していると、弟さんも話の輪に入ってきました。 私がマレ-シアの一人旅の話をするとの、その弟さんは、以前にクアラランプ-ルのレストランで働いていた経験があるとの事で、さらに話が3人で盛り上がり、時間の経つのも忘れてしまいました。 丁度、話が途切れたところで、カサゴの刺身が美味しいとの情報を事前に戴きましたので、その事をちょっと聞いてみました。 こちらでは、ホゴと呼んでいましたが、刺身になる様な大きいものは入らないそうですが、10月20日から宮崎にも立ち寄るので、探してみたいと思います。 そのお店を出て、すぐ隣のスナックでは、関アジの煮付けを女性のお客さんに出していましたので、一口ご馳走になりましたが、普通のアジとの違いが判りませんでした。(笑)  観光地として別府が発展続けていますが、人情の温かさは、健在でしたので、心が温まる夜でした。

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一人旅 in 小倉(3)

Yanagi_16th_oct_2008_800 小倉のホテル、ビジネスホテルYNAGIの朝食は、洋食でしたが、栄養バランスも良く、日本食好きの私も、偶には、洋食も変化があっていいです。 

早速、ホテルを出て、300円を支払ってから、小倉城の側ある庭園、北九州市立小倉城庭園に入園しました。(http://www2.kid.ne.jp/teien/) 

展示品コ-ナ-を抜けると、古風な建物に移動しましたが、偶々、拝観者は、私一人でしたが、案内嬢の無料のガイドの申し出がありましので、お願いしました。 再現した江戸時代の大名屋敷の事などの説明を受けて、大名屋敷の書院棟から日本庭園の景観が観賞出来ましたし、その庭園は、のぞき池(池面が周囲より低い状態の作り)の周りに沿って散策が出来ました。 静寂の中に自分ひとりが佇み風情のある庭園の独り占めです。

その後に、小倉城のお堀に棲んでいる大きな鯉と遊んだりしてから、小休止しようと思い、お城のほとりにある、スタ-バックス(米国のコ-ヒ-・チェ-ン店)で、アイス・ココアを飲んで、パソコンを打っていたら、いつの間にかうたた寝をしてしまいました。

昼食は、近くのレストランで、880円のラム・ステ-キ(150gが2枚)、サラダ付きを注文し、シングル・モルト・ウィスキ-のストレ-トも頼み、自由気ままな一人旅を満喫する瞬間でした。 

ホテルに戻り一休みしてから、夜の街に消えていく私がいました。

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一人旅 in 小倉 (2)

小倉を訪れるのは今回が2回目で、最初の時は、家内と一緒に出かける計画でしたが、突然の飼い猫の雄猫の怪我で、家内がドタキャンをする事になり、私だけが予定通りに旅立って、2007年3月12日に、小倉のホテルに泊まりました。

原爆(濃縮ウラン型)の最初の投下目標地は、広島、小倉、新潟長崎が米国軍部によって密かに選出しれ、その結果、最初に広島に投下され、その後すぐに次の原爆(プルトニウム型)が長崎に投下されてしまいました。 でも、米軍か決定していた次の投下目標地は、この小倉でしたので、なぜ米国は小倉を選んだのかを、小倉を訪れば、判るかもしれないと云う思いと小倉城への再拝観が今回の目的でした。

敗戦が近づくに従って、国内の多くの軍需工場、軍港、製鉄所や大中都市が通常爆弾で破壊され続けて、沢山の人々が犠牲になりましたが、不思議な事に広島、小倉、新潟、長崎が通常爆弾による攻撃を受けていませんでした。 実は、それらの都市の攻撃を米軍が事前に禁止していたのは、もし破壊されてしまった都市に、原爆を投下すると、原爆の威力が正確に把握出来ないからと云う、悪魔の綿密な計算があったらだと、その事が後から公になました。 19458月9日に、米軍の爆撃機、B29が飛来し、その前日に八幡製鉄所が爆撃され、くすぶり続けた煙が上空にあった為に、原爆投下目標地点であった小倉造兵廠(旧小倉市)が、そのくすぶり続けた煙によって覆い隠された事と、更に、原爆の投下方法が厳しく決められていた為に、小倉の上空で3回の投下を試み失敗した為に、そのまま長崎まで飛行して、同日に2回目の原爆が長崎に投下されました。 たが、今回の小倉の訪問で、なぜ小倉が選ばれたのか、はっきりと判りませんので、私の今後の課題にしておきます。

余談になりますが、米国のたゆまない宣伝によって、日本の学校の給食はパンと牛乳に変わっていきましたが、その日本の成功例を基にして、他の国々でも、広める様な新戦略を米国がとっています。 そして、日本がバブルの絶頂期で浮かれている頃に、米国は、どの様にして、経済成長を続けている日本経済に打撃を与える事が出来るかを、多くのシンクタンクの学者が熱心に研究していました。 そして、日本の強さの秘密は、終身雇用と年功序列であると結論づけました。 後は、簡単です。 日本の政治家を使い、労働雇用法を緩くして、人材派遣会社を乱立させ、多くの日本の大企業は、派遣社員を増やしていく事になりますが、会社への忠誠心を持つ必要もない派遣社員によって製品の高品質維持をする事が困難であると、やっと大手の日本のメ-カ-の何社かが、理解し始め、派遣社員の数を減らして、正社員の数を増やしていく様に最近なりました。 日本経済の再生の鍵は、正社員、年功序列、終身雇用制度へ戻る事なんですが、どの位経済界のお偉方が気づいているのか、甚だ疑問です。  軍事面でも外交でも、米国は徹底した調査を基に行動を起こしている事を、歴史からもっと日本の政治家や会社の経営者が学び取るべきです。 小泉元総理の今の評価は高いですが、今後将来の評価は売国奴として評価されるかもしれませんし、彼が推し進めた、旧郵政省の民営化の本来の目的は、民営化する事によってその預貯金を、更に米国内に投資させて、再利用したいが為に、自由化の旗を、米国の代理で、しかも米国の利益になる様に、小泉元首相は、その旗を振り続けたと、私はその様に彼の行動を総括しました。 この様に、戦前から今までの日本の動向や政策が、私達が思う以上に、詳細に時間と経費をかけて米国は分析能力に優れている事を肝に銘じておく必要があります。

JR小倉駅の南口にある小倉祇園太鼓(こくらぎおんだいこ)の銅像で、小倉祇園太鼓と戸畑祗園大山笠と博多祇園山笠とで、福岡県の三大祇園祭」といわれています。 その銅像を後にして、繁華街を歩いて、24間営業の「吉野家」さんに入り、納豆定食と漬け物を頼み、お盆を受け取ったのが朝の6時40分で、若いカップルが、朝から牛丼と牛肉皿を追加注文していますが、若いので食欲があります。  そのカップルは、同棲しているのか結婚しているのか判りませんが、雰囲気からして同棲なのもしれません。  日本も古いしきたりを捨てて、食生活だけでなく生活のスタイルも欧米化していますが、生まれてくる子供達については先の事かもしれませんので、お互いの思いやりの心さえ失わなければ、当人同士は欧米の様な生活スタイルで良いのかもしれません。

その後にすぐ、荷物を宿泊先のホテルに預けて、小倉城天守閣の拝観に出かけました。

15th_oct_2008_2 小倉城は、小倉駅より徒歩で約18分の位置にあり、小倉のシンボルとして沢山の観光客が訪れますが、早朝の為に、散歩する地元の人達と目が合い会釈をしてすれ違いました。1602年に細川忠興(ほそかわただおき)の命により築城され、1837年に天守閣が炎上した後に修復されないまま、1866年に長州との戦いで焼失してしまいましたが、1959年(昭和34年)に天守閣を再建した後に、1990年(平成2年)に屋根の一部のデザインを変更して、更に威風堂々の雄姿になりました。大手門跡の道路から登坂を上がると、天守閣への入り口の門はまだ閉ざされていますが、側の看板を見ますと、今回の展示品は、「武士の魂展」と命名され、甲冑、刀と鎧が展示されている様ですが、まだ朝の7時21分ですから、開場まで城内をゆっくりと散策する事にしました。 その門の扉の側には、珪化木(地中に埋もれた木が化石になったものを、けいぼくと言うそうです。)が響灘の海底で見つかり、推定4000万年と書かれおり、もしかしたら再調査の結果推定年齢が修正されるかもしれませんが、いずれにしても最古な事は確かです。 風が無い為に、お堀の水に風による波が立たないから、お堀の水が鏡面の様に、平らで、お堀の水に反射して、「逆さ富士」(さん)ならぬ、逆さ天守閣が写っています。

明治時代の小倉城の「松の丸」跡に、明治8年に日本陸軍の歩兵第14連隊と福岡の第24連隊を統括する第12師団本部司令部が設置され、今でもその煉瓦造りの正門が残っており、その司令本部は、大正14年に久留米に移転したそうですが、戦争の残酷さを思い出させます。 

15th_oct_2008 写真には、その煉瓦造りの正門が写っています。 後の世に文豪として知られる、「森鴎外」がその当時に、軍医部長を務めており、又、天才作家の松本清張も、この小倉が出発点になっていますが、偉人の彼らを搬出した小倉とは、一体どんな風土と文化があるのか興味が尽きないですが、そんな事を漠然と思いながら、シ-ンと静まりかえった城内で、新鮮な空気を吸い、早朝の散策を楽しみました。

更に城内を移動すると、白州灯台岩松助左衛門記念塔の矢印が目に留まりそちらに足を向けました。小倉藩沖に白州(しらす)と呼ばれた難所があり、その為に船の遭難が後を絶たず、「西国一の魔の海」と恐れられていましたが、小倉藩から、海上御用掛難破船支配役の命を受けた、一人の男が、そんな遭難事故を無くしたい信念と情熱で、資財を投げだし、幾多の困難も乗り越え、灯台を完成させたのが、地元の庄屋だった岩松助左衛門(いわまつすけざえもん)で、後世の地元の人達が、ここにその記念塔を建てて、彼の偉業を讃えています。 今の政治家や起業家に、彼の爪の垢の一欠片でも、進呈したい気持ちですが、小倉で、二刀流の剣豪の「宮本武蔵」も活躍した江戸時代から、その様な風土を伝承し続け、こ゛本人の能力もさることながら、様々な偉人達を、この地の小倉の風土が搬出してきたと感じる瞬間でもありました。

小倉城天守閣の一階が、小倉城の歴史と売店で、二階が、小倉城体験が、三階には芝居小屋の様なからくりシアタ-が、4階には市民の広間が、最上階には展望所なっています。

15th_oct_2008_3 展望台から、屋根の鯱を写真に撮りましたが、何ともユ-モラスな顔をしていました。

 

八坂神社の鳥居の側には、小倉城の石垣を作る為に、運ばれた石の中で、大きな石があり、運搬が困難であった為に、運搬出来なくなり、そこに置いたままの二基の大石があります。 八坂神社は、小倉城の鎮守として、細川忠興(ほそかわただおき)が1617年に創建させて神社で、「日本三大祇園」の一つで、7月に開催される小倉祇園祭には、祇園太鼓がこの神社に奉納されます。 

城内には、松本清張記念館もありましたので、立ち寄りました。 彼の生い立ちや軍隊時代から小説家へのデビュ-、徹底した取材は、国内から海外まで幅広く取材の旅をしていた事が、記念館にある様々な資料から、うかがい知る事が出来ました。 若い青年時代の写真を見ますと、普通の唇をしていますが、往年の顔写真の唇から、どういう訳か、家内に頼まれた、唐子明太子を思い出しまして、切り子の唐子明太子を自宅宛に郵送しました。(笑) 館内で彼の作品の文庫本を買い求めて外に出ました。

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一人旅 in 小倉 (1)   

15th_oct_2008 途中3回ほど小休止した時に、運動の為に、その度に、バスから外に出て歩きましたが、朝の5時54分に、小倉駅前に到着しました。 まだ、街は眠りから覚めていませんが、スツケ-スを引きずりながら、本日の宿を探しましたが、すぐに見つかり、荷物を預けて、JR小倉駅まで戻りました。 

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一人旅 in 大阪 (9)

予定通り、今日の夜に、「楽天」で予約した高速バス(トラベルメディアが企画実施)で梅田から福岡県のJR小倉駅前まで移動しますが、乗車料金の片道が、一人6500円ですので、割安なのです。 長距離バスに、私が初めて乗車したのは、今から35年ほど前に、カナダのオタワから米国の町(昔の事なので町の名前が思い出せません。)まで、夜間に移動した時で、工場での打ち合わせが長引き、予約した最終便に間に合わなくなり、急遽バスでの移動になり、初めての経験で不安で車中で眠れない夜を過ごしました。 そして7-8年位前に、日本の文化をトルコに紹介するする為に、フェスタを開催した旧文部省の招きでピアノ演奏者として参加した、某大学の付属高校のピアノ教師をしていた友達(今年病気の為に他界しました。)と一緒にトルコへ観光に出かけた際に、長距離バスで移動した楽しい思い出がありますし、昨年はマレ-シアのマラッカからクラアルンプ-ルに戻る時に長距離バスを利用しましたがとても快適でした。  でも、国内で長距離バスは、今回の一人旅の始まりに、東京から大阪に移動したバスが最初で、今晩が2回の長距離バスでの移動になります。

チュックアウトしたホテルに、荷物を預けてましたが、今日は朝から小雨が続いていますので、梅田周辺のビル内をウロウロしていたので不審者にみえたかもしれません。(笑) 

Photo 大阪市北区茶屋町にある、綱敷天神社 御旅社(つなしきてんじんしゃ おたびしゃ) (http://www.otabisyo.com/)の鳥居が目に入りましたので、とりあえず写真を撮らせて貰いました。  神様の別荘の様な場所が、御旅社だそうで、大阪市北区神山町の綱敷天神社が御本社になるそうです。 上のHPの公式サイトに寄りますと一つの神社として、また旅行の神さまとして、正式には御旅社と呼ばれる珍しいお社との説明ですので、一人旅をする私にも縁がありました。 

その御旅社の写真をとり続けていますと、「今日は、雨で旅が大変ですね」と、品の良い若い女性が声をかけてきました。  そうなんですよと答えまたしら、小さなパンフレットを差し出して、どうぞこれを読んでみて下さいと、私に渡してくれました。 電話番号も住所も書いてありましたが、信仰へのお誘いパンフレットでしたので、何時は必要になると思いバッグにしまいました。

14th_oct_2008 それから、更に街を彷徨って、そば屋さんに入り、お昼には、ナメコ、イクラととろろの三種のトッピングをした日本ソバを戴き、たまには、さっぱりした味がとてもいい物です。 何の目的もなく街中を彷徨って、時間つぶしをするのは、贅沢かもしれせんが、ちょっと辛いですので、映画館に入りました。

上映映画は「アイアンマン」(http://www.sonypictures.jp/movies/ironman/)で、父親が経営していた米国のある最大手の武器メ-カ-を引き継いだ、天才がクラスタ-型ミサイルのデモの為にアフガン入りしますが、彼の一団が攻撃されて、彼は捕虜の身になり、戦争に沢山の自社製武器が使用されている事に驚愕すると同時に、悲惨さも味わう事になりますが、その彼が、「鉄人28号」の様なロボットを試作し鉄板で全身を保護して何とか脱出が出来ましたが、その体験により、彼の心は大きく変化して行き、次の序章へと続くの訳ですが、その後の続きは映画館で観て下さい。 11月には、「Xファイル:真実を求めて」が封切りされますので、楽しみが増えましたが、どの街の何処の映画館で観賞するか判りません。 (後日談ですが、映画鑑賞の機会を逃してしまいましたので、DVDで自宅で観賞しましたが、個人的には、前回の作品の方が評価が高いです。) 

映画を見終えた頃には、雨も止んでいて、急いでラ-メンとライス(合計950円)を腹に詰め込んた後に、ホテルで荷物を受け取り、ホテルから30分ほどかけて集合場所の「梅田プラザモ-タ-プ-ル」に行ったんですが、もう10台位の大型長距離バスが停車し、各バス会社の窓口で乗車確認の受付を済ませた沢山の乗客が待っていました。 乳児を連れた母親、若い世代や中年世代の女同士の旅人達、若い男同士の旅人達、ビジネスマン風の年配の男性と様々な人達が、バスの乗車時間を待っています。  私のバスは、午後10時半に出発しますが、10時10分に受付を済ませると、すぐにバスの停車場所を示してくれましたので、そちらに移動しました。 バスの乗車口に、自分の名前が記入されているので、すぐに判りましたが、最初の乗った東京から大阪行きのバスで、適当に座ってしまい、迷惑をかけましたが、今回は、バスの乗車口の横に名簿がありますので、それを見て着席しました。 乗客の総数は19名で、男性の運転手さんと男性のスタッフさんの総勢21名になり、下関、小倉そして最終到着地が博多に向けていよいよ出発です。 車の窓は、遮光用カ-テンがかかり、運転席の回りも遮光用カ-テンで囲み、11時過ぎには、車内の明かりが消えましたので、真っ暗な闇になってしまいました。

 

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一人旅 in 大阪 (8)

宿泊先のホテルを午前11時ごろには一時退去ないと、掃除のおばさんが、部屋を掃除しくにくいと思い、とりあえず退室しました。 明日の夜に、大阪市の梅田から福岡県JR小倉駅に行く定期観光バスの集合場所の確認に、ホテルで、ネットから、おとした地図を観ながら、歩きましたが、30分程度で到着する事が判りました。  これで、集合場所である、「梅田プラザモ-タ-」に迷わずに定刻前に到着する事が出来るので、安心です。 その足で、大阪駅に行って、環状線に乗り天王寺駅で下車し、天王寺公園を横切って「通天閣」を目印に歩き出しますが、本日、10月13日は、祭日の為に、子供連れの家族達、海外や県内外からの様々な団体客で、遊歩道も賑わっています。 

13th_oct_2008 美術館も通天閣でも、切符を買う為に順番待ちの状態で、今回も通天閣の展望台行きをパスしましたが、鉄骨造りの通天閣が店に向かってそびえ立っています。

そして、大阪の通天閣の側にある、沖縄料理の店に再度立ち寄りましたが、可愛い黒猫の2匹がお客さん達を愛想良く歓迎してくれるんです。今日は親猫は疲れて部屋で休んでいるそうで、子供猫が7月に無くなったとの事を聞き悲しいニュ-スでした。

113th_oct_2008 気を取り直して、その足で、天王寺駅前の大型雑居ビルにある、「惠美寿屋天王寺店」さんに立ち寄りました。 お店には、昼から飲める店のキャッチコピ-が張ってあり注意を引きます。 お店ののれんをくぐったのは午後でしたが、食事だけされているお客さん達や、私の様に酒類を呑みながら食事しているカップルや、前回お会いした若者(大阪から名古屋へ転勤された為にお友達と呑み会に参加したそうです。)の為に、ママさんとバイトの人がカウンタ-の中で忙しく働いています。  

13th_oct_2008_2 私が芋焼酎「山猫」の水割りと、紀州産カンパチの刺身、本マグロの子供(ヨコワ)、枝豆を戴いていると、偶然にも、ひっこりと可愛い小さな女のお孫さんを連れてマスタ-が入店してきました。 彼は、若者達に慕われる兄貴分の様な存在で、「社長」と呼ばれ、社長も兼任していますので、そう呼ばれていますが、私は親しみを込めて彼をマスタ-と呼ばせて頂いていますが、その彼と再会が出来て大変嬉しかったですし、お互いの近況報告を交わし、次の再会を約束して、お店を後にしました。(写真の右側がマスタ-で、左側が私です。)

大阪に戻り、お初天神境内に接してる、カウンタ-だけのショット・バ-に立ち寄り、グリンフィデクのシングル・モルト・ウィスキ-が一杯500円ですが、店内に置いてある全ての酒類が、一杯500円なんです。海外のワン・ショット・バ-の様に、毎回に500円の明朗会計で、乾きモノ、ピ-ナツやサイコロチ-ズもつまみとして出してくれました。 気品が良い美人のママさんがお店をされているとの噂を聞きましたので、立ち寄った訳ですが、グレイのショ-ト・ヘアで、上品さを保ちながら、立ち飲みのお客さん達と気さくに話をする噂通りの美人ママさんで、初老には見えませんでしたが、写真は恥ずかしいとやんわりと言われてしまい、断り方も上手でした。

一人旅は最高です。 今を生きる感じで、生き生きしていますので、「いゃ~、旅っていいものです。」とつくづくそう思うのでした。

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一人旅 in 大阪 (7) 

112th_oct_2008 夕食は、再度、大阪の曾根崎にある、干し物炭火料理の居酒屋、「うおんちゅう」さんに寄り、早速、黒丸の焼酎と、梅じそ入りの「キス」の天ぷらを頼みましたが、梅としそが良く合うキスの天ぷらでした。

2_12th_oct_2008 秋刀魚のみりん干しのサイズは小さいですが、脂はしっかりとのり、大変美味でした。  魚を焼く四角の七輪の様な調理用のコンロの名前を、店長さんの、ナオコちゃんに尋ねたら、やはり七輪と言っているそうです。

12th_oct_2008 そしてふぐの干し物も頼み、このお店が「恵美寿屋お初天神店」さんの時に、店長をしていた、チエちゃんが、今は店員さんをし、前のお店の恵美寿屋さんの時に店員さんだった、ナオコちゃんが、今度店長なり、お二人とも、立場は入れ替わりましたが、仲良く新しいお店「うおんちゅう」さんを盛り上げていますので、ツゥ-・ショット(左が前店長さんのチエちゃんで、右が新店長のナオコちゃん)を撮らせて貰いました。

 

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一人旅 in 神戸

12th_oct_2008 遅い朝食をとる為に、新梅田商店街の電車のガ-ド下の定食屋さんに入り、蕗、ほうれん草のおしたしと釜揚げしらす、鯨のベ-コンと、それに焼酎の水割りを飲んで食べました。 最近、それぞれ別の飲食店で、ベ-コンを3回ほど口にする機会がありました。一頭に尻尾は一つですし、その尻尾がベ-コンですから、そんなに沢山市場に出回っているんでしょうかしらねと思いながら、入荷の詳細は不明ですが、ベ-コンが美味しかったです!

、さらに大阪の串カツ店にはしごして、牛肉、エビ、鶏肉、ピ-マンの揚げ物と焼酎を戴きました。 このまま物価の上昇が続けば、近い将来、国内外の旅行にも何らかの規制がかかるかもしれませんので、出来るだけ、いい思い出作りをしようと、それに、喰い意地が張ってしまい、どうしても盛り沢山に成がちです。

お腹も心もパンパンに満たされて、JR神戸線に乗り、神戸まで行きました。

10月12日は、日曜日ですので、子供連れの家族やいろいろのグル-プの人達が神戸に遊びに来ていました。 神戸駅前は、再開発され、大ショッピング・センタ-になって、様々なレストランとブティク店が開店していました。 神戸ポ-ト・タワ-もお色直しをして、鮮やかな明るい赤色に鉄格子が塗装され、神戸駅前を少し歩くと、鉄塔の頭部が見えてきましたので、そちらの方向に歩き出しました。  すると、マレ-シアのペナン島にあった灯台を思わせる様な、それに比べると随分と小さな灯台が見えてました。

12th_oct_2008_2 さらに進むと、神戸港湾内を周遊する観光船の案内人さんに、声をかけられ、一周40分ほどで、一人千円でしたので、乗船券を買い求めて、10分ほど待つと、白とオレンジ色のツ-トン・カラ-の船体で、帆船をイメ-ジした観光船がゆっくりと接岸し、岸壁で待っていた乗船者を乗せてすぐに出航しますが、接岸した、その観光船の左手には小さくポ-ト・タワ-が見えます。

12th_oct_2008_3 観光船が出航してまもなく、川崎重工のドックで、海上自衛隊に納入される潜水艦が建設中で、艦の上部が見えて来ました。観光船内のアナウンスによると、一隻の潜水艦の建造費は、500億円程度で、皆さんの税金が使用されていますとの説明で、乗船した人達の間から、笑い声と、どよめきが起こりましたが、毎年1隻ずつ交互に、この神戸港にある川崎重工と三菱重工で建造されている様です。

中国の2008年度予算案の国防費が、前年比17・6%増の約6兆600億円に対して、日本の財務省が作成した20008年度の防衛費は、前年度比0・5%減の4兆7793億円との事ですが、あの広大な中国国土を軍事力で防衛するには、限度があると思いますし、中国のバブルが崩壊すれば、経済的な大混乱になる様な気がしますし、国土の狭い日本の防衛の為に、防衛庁から防衛省に格上げした事に対しての検証も必要です。 天然痘患者を航空機に乗せたり、新開発された伝染病のばらまきや、オウム真理教のサリン事件の様なバイオ攻撃は即効性があり、巨大な軍事費を費やしている米国でさえも防げない時代に、ハ-ドウェアも含めて、毎年4兆円以上の巨額な税金を国防費に使用している国策とは何なのか理解しがたいです。  寧ろ、経済力こそが、国の戦力で、その経済力を誇る日本を軍事力で攻めて、世界恐慌を起こせば、攻撃した国にも不利益になります。  すでに、世界中が経済的にリンクしていますので、軍事力は、もう時代遅れになりつつあるのです。 お隣の三菱重工のドックでは、日本郵船が発注した自動車用運搬船を造船中で、それに、修理中と思われる潜水艦の一部が見えましたが、特にその様な事は、軍事機密でもないので、観光船から観察する事が出来ました。観光船のスピ-カ-からは、その自動車用運搬船は、乗用車を6400台も運ぶ能力があるそうです。 日本のカ-・メ-カ-は、過去に自動車による輸出摩擦を米国と起こした為に、自動車メ-カ-と共に部品メ-カ-も現地生産に踏み切った経緯がありますし、東南アジアや中国でも自動車の製造には、国力を上げて応援していますので、今後の日本が、そんな量の車の輸出が出来るのか疑問がわきました。 つまり、まだ運搬船が必要な時代は、とっくに過ぎたと思うんです。 船上から2006年に開港した神戸空港が見えてきましたが、空港の横には、海上を埋めて出来た街には、3大学が建ち並び、2万人程度の人々が生活しているとの説明でしたが、その街を経由しながら、本土と結ぶモノレ-ルが埋め立ての街(1981年に完成した世界初の人工島で、ポ-トアイランドと呼ばれています。)を経由して空港に接続しています。 丁度、日航機が着陸してきましたが、その到着シ-ンを遠方から眺める事が出来ました。

神戸から、大阪に戻る帰りに、JR尼崎駅に途中下車をしましたが、高層マンションが駅前に立ち並び、更に建設中の高層マンションと思われるビルが建設中で、鉄骨構造がむき出しになっています。

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一人旅 in 大阪 (6)

大阪のJR駅構内のある、高級回転寿司店さんに、夕食を食べる為に立ち寄りましたが、勿論、美味しい魚を期待して、入店しました。  何処の回転寿司店さんなのか、皿の色から判りますので、あえて写真を載せませんが、回っている握りの魚の表面は、乾いて、あまり手が伸びていませんでした。  ホタテの貝柱と数の子は美味でしたが、私も、わざわざ、職人さんに、鰹とマグロを握って貰ったのに、残念ながら、私を満足させる、鰹やマグロはありませんでした。 

11th_oct_2009 仕方なく、私は、食べ直しに、牛丼店、「吉野家」さんに寄って、真っ赤な紅生姜をたっぷり載せて、並の牛丼(今は80円安く300円)を美味しく戴きました。(笑)    何処の店でも、仕入れている食材の値が上がっていますので、最近、ラ-メンも値上がりして、具の量と品数を減らし、トッピングと称し、オプションになりりつつありますが、真っ赤な紅生姜を今後も無料サ-ビスで続けてもらうと嬉しいですね。 (笑)

今回は、駅前の回転寿司店さんでしたので、安易に入店して、失敗しましたが、それで、学習をしましたので、一皿105円の回転寿司でも行列が出来るお店は、確かに美味しいですからお客さんの入り具合を確かめてから、回転寿司店さんに入る様にします。(笑)

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一人旅 in 姫路

今朝は、御堂筋沿いの小さな立ち喰のお店に入店し、コロッケ定食(540円)を食べたく、それを頼みましたが、コロッケは、注文を受けてから、脂であげてくれます。 温かいソバ付きですから、お腹が一杯になりました。  姫路まで足を運び姫路城を拝観したく、JRでなく、阪神電車を利用する事にしましたが、自動切符売り場で、早速まごついてしまいました。  阪神電鉄、山陽電鉄、神戸高速、神戸電鉄の路線の選択があり、姫路まで行くには、山陽のボタンを押して、1250円の乗車券を買いましたが、4社が共同使用している様で、特急券が不要な特急電車が、梅田から姫路まで乗り換えなしの直通特急(電車側面の上部には、「直急姫路」と案内が書かれていました。)で、「日本のきれいな都市」に選ばれた尼崎駅や高校野球で有名な甲子園駅などの駅に、何度か停車しました。

11th_oct_2008 走行中の車窓からは、兵庫県の神戸市と淡路市を結ぶ「明石海峡大橋」は、明石海峡にかけられた世界最長の吊り橋と言われ、その橋の一部がよく見えます。  ですが、線路と平行に張られた、何本もの送電線と高層ビルの為に、うまく橋の全体像の写真が撮れません。 一瞬、いい写真スポットも車窓から見えましたが、デジカメのタイム・ラッグで、全く写りませんでしたので、デジカメの辛さでもありますが、帰りに撮れればという思いを残しながら、電車は走りすぎ、約1時間半かけて、姫路駅に到着しました。

JR岡山駅前には、「桃太郎通り」と名付けられたメイン通りがあり、桃太郎を連想させる様に、姫路駅前には「大手前通り」が作られ、お城を連想させ、その道路幅と歩道幅も充分にとってあります。 それに、路上禁止区域の条令を作り、大手前通りと姫城周辺地域を指定区域とし、喫煙者は千円の過金とゴミのポイ捨ては1万円の罰金なっています。 そのお陰かもしれませんが、タバコの吸いがらやゴミは全く無かったですから、いい都市計画の一例です。

朝食のコロッケ定食を午前11時過ぎに戴きましたので、まだお腹も空いてないのですが、これから数時間かけて、歩き続けてますので、その前に、腹ごしらえです。 中華ソバ(500円)を頼みましたが、もやし、豚肉2枚、メンマ二きれ、切ざんだワケギを入れた塩味のあっさりしたラ-メンで、麺の量は少なめで丁度良かったですが、どうもイノシン酸を入れて、うまみを出している様で、汁をすするのをやめました。(笑)  

11th_oct_2008_2その中華ソバ屋さんを出て、歩き出すと、いろいろなブロンズ像が道路幅の広い歩道の中に展示され、芸術の匂いを醸し出す、街の雰囲気造りに姫路市が努力をしている事を伺わせます。  野外展示されている沢山のブロンズ像のどれもが大変素晴らしくそれらのブロンズ像を観ながら道草をしていますので、15分程度の距離を30分程度もかかってしまい、すぐに、姫路城には着きませんでした。 彫刻に興味のない連れが一緒ですと、そんな道草は失礼になりますが、一人旅だからこそ自由に時間が使える、マイ・タイムがあります。 

その像の中で、特に、とても表情豊かな面白い一点がありました。

姫路市も予算を使い、環境を整え、さらにガイドさん達も増え、特に旅行会社と姫路市が、何らかの協力関係があると思いますので、沢山の観光客が、海外から、県外から、地元から訪れていますから、もの凄い人達が一杯で、姫路城に通うずる道は、人の団子状態で、あまりにも、人混みが多いので、人酔いをしてしまいました。

111th_oct_2008兵庫県姫路市内にある、築城400年を迎えた姫路城は、ユネスコの世界遺産に登録され、城内には、国宝指定された、それぞれの天守閣や櫓(やぐら)など8棟と、重要文化財に指定された、櫓やそれぞれの門など74棟が、お城を守り、城主、正室や奥女中らを守る為に、戦略的にそれぞれの棟が建てられています。 頻繁に日本の時代劇の撮影に、この姫路城が利用されるのは、江戸城の天守閣が焼失し、再建もされずに時が過ぎその江戸城跡は皇居なっていますので、その為に、江戸城の天守閣の代わりに、現在の姫路城が利用されている訳で、そんな話を、2008年3月20日に岡山市を訪れた際に、市内にある大衆酒場のママさんから仕入れた情報がありましたので、是非機会をつくって姫路城を拝観したいと思っていましたが、それを実現する事が出来ました。(明治時代に、皇室は、京都から東京に転居した為に、皇居になっていますが、当時の江戸城の本丸、二の丸と三の丸の部分は、皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)として開放されています。) 夕方の写真ですので、 夕日が白壁を薄いピンク色に変えていますが、その威風堂々さは伝わります。 機会を作って、是非再訪したお城でした。 お堀に掛かっている木製の「桜門橋」を渡ると、「菱の門」が見えますので、写真を撮らせて貰いましたが、柱や門のが日焼けや雨風に耐え歴史を感じさせます。

その「菱の門」をくぐると、左手方向が、西の丸になり、姫路城城主の2代目の本多忠刻(ほんだただとき)と再嫁した「千姫」が住んでいた「化粧櫓」や「渡り櫓」があり、その渡り櫓の中には、「百間廊下」と呼ばれる細長い渡り廊下と長屋の様な小部屋が沢山あり、奥女中達はそれらの小部屋を与えられて住んでいました。 敵が攻めてきた時の為に、「百間廊下」の横には、石を落とす、石落としと呼ばれる細長い穴を設け、窓の敷居に小穴を開けて、水抜きして木が腐らない様にしてあったりと、至る所で匠の技を観る事が出来ます。  白く美しい城壁の為に、姫路城は、別名、白鷺城(しらさぎじょう)とも呼ばれ、石垣の石が不足した為に、燈籠や五輪塔の土台石や石棺まで転用され、「はの門」の右端の土台には、転用された燈籠の石を身近に観る事が出来ますし、筑城した城主と修理を施したそれぞれの城主達の家紋が瓦紋として彫られた瓦が屋根になっています。 大天守(天守閣)は展望台を入れて6階建てになっており、文字な絵画の掛け軸、領収書、鉄砲、刀、槍、鎧、鞍、羽子板、城下町の全景の模型、大工道具、瓦、等々が展示され、写真も自由に撮れますが、生憎、人人で思う様に撮れませんでした。 ピラミッド型の大天守は、上階に上るほど、空間と面積が狭くなり、各階を繋ぐ木造の各階段は、とても勾配がきつく、足腰の弱い人は無理かと思いました。最上階の展望台には、長壁神社(おさかべじんじゃ)があり、御祭神は、第49代光仁天皇の皇子、刑部親王(おさかべしんのう)とその王女冨姫の御二柱が、祭られてあり、城の守護神であり、火災と災厄除けの神社として、信心深い人達が拝んでいますし、その横には記念のスタンプ台もありで、もう満杯状態で、ガ-ドマンの適切な指示が無ければ、混乱状態になるほど混み合っています。

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一人旅 in 大阪 (5)

10th_oct_2008 夕食は、芋焼酎の黒霧島の水割り、新鮮で生きの良い本マグロの赤身と味がしみこんだガンモで始まりました。 私の少し左側には、若いOL嬢らしき女性が、赤い色のカクテルを飲み、すぐ右側には、会社帰りの同僚達がビ-ルを飲んでいます。 でも、この店、「大安」にはイスがありません。 勿論、カウンタ-内の従業員さんも、お客さんにもイスがありません。 そうなんです。 このお店は、立ち飲みのお店なんですが、まるで掃き溜めに鶴の様に、場違いな若い女性が、荷物を足の下に置いて、美味しそうに立ち飲みをしています。 実はこのお店は、前回の一人旅でも、立ち寄ったお店で、安くて上手い物を食べさせてくれるんですが、じろじろと観察するのは、失礼なので、一瞥した後は、見ない様にして、飲んで食べていたら、彼女は満足されて、お店を出ました。 そうこうするうちに、頼んでいた、新鮮な鰯の塩焼きが出来上がり、とっても美味しかったですし、頭がとってある身の厚いアジの半身を刺身にして貰いこれも美味でした。

10th_oct_2008_2 本マグロ(正式名は黒マグロ)の赤身は、インドマグロ(正式名は南マグロ)より少し濃い赤い色で、身が少しねっとりしていますから、身の色がピンク色の薄さなので、多分本メジ(本マグロの子供)か、びんちょうマグロ(正式名は、ビンナガマグロで、鬢、ビンすなわち、むなびれが長いので、ビンナガマグロが、ビンチョウとかトンボとかいわれる所以で、脂がのっているのをビントロと呼びます。)と思われますが、その立ち飲み店の値段表には、本マグロと書かれていましたが、確かに、刺身の切り身は、本マグロでしたが、握りは、本メジと思われますが、マグロの名前はどうであれ、ネタの味には、私の舌も意義がない様でした。マグロと地タコとヒラマサの、にぎり寿司(一皿300円)も美味しく戴き、更にヒラマサはもう一皿追加してから、私もお店を後にしました。  

クエのにぎり寿司とクエ鍋のお勧め料理して並んでいましたが、クエは丁度、売れ切れとの事で、ヒラマサがお勧めでしたが、特に美味しかったです。 食品偽造で、そのクエ(九絵)も問題になり、クエない話です。 高級魚であるクエの値段で、仕入れの安い「アブラボウズ」を切り身として売りさばいていた中間業者がいました。 切り身になるとその白身と味から違いが判りにくいとも言われていますし、私も、クエ鍋を2回ほどしか食べた事がなく、本当のクエだったのか、アブホウズだつたのか、わかりません。 クエの姿や形は、ヨダレを垂らしそうになりながら、水族館でよく観察するので、よく知っていますので、ある店の水槽には、確かにクエが泳いでいました。 でも備長炭のお店の看板を出していても、大抵中国製の木炭が多いと同様に、本当に水槽のクエかどうかは、判りません。

マグロ、特に本マグロ(黒マグロ)に関しては、高級車が一台位買えるお金を、お寿司屋さんにつぎ込みましたので、舌が鍛錬されました。 学習費は、自分の小遣いと会社持ちの接待費でしたので、飲み過ぎで一時、十二指腸潰瘍でなり、飲み薬で完治しました、過去の苦い経験があります。

10th_oct_2008_3 ホテルに帰る途中で、ショット・バ-に立ち寄り、シングルモルト ウイスキ-のグレンフィデックのシングルを頼みチェイサ-は水にしました。 店内は少々薄暗く淡い照明で店内を飾っていますが、ママに値段をズバリ聞きました。 グレンフィデックのシングルは800円で、それにカバ-チャ-ジが300円との事でしたが、若者達ばかりが集っているので、場違いな店に入ったと感じて、2杯飲んで引き上げる事にしました。 明日は、何処に出かけるか、多分、姫路まで行き、姫路城の拝観に出かけるかもしれませんが、明日は明日の風が吹くで、変更もありえます。

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2008年10月22日:

22nd_oct_2008_400昼食を戴く為に、入店すると、壁に、2007年度国際審査会優秀味覚賞受賞、麦芽100%、 手作り、無濾過、酵母が香る贅沢なビ-ルのキャッチ・コピ-が書かれた大きな、ポスタ-に誘われて、そのポスタ-を見ていると、お写真を撮りましょうかと、気さくに声をかけてくれましたので、早速お願いしました。

2_22nd_oct_2008_800 その地ビ-ル、「ひじでビ-ル」の中から、きつね(ピルスナ-)瓶ビ-ルを一本頼みました。 ちょっと苦味のあって、こくがある美味しいビ-ルでした。

22nd_oct_2008_800 つまみには、玉ねぎ合えの地鶏の炭焼き(600円)を美味しく戴きながら、きつねビ-ルをぐぃっと戴きました。 歯ごたえがあり、肉汁の美味しさが口の中で広がり、やっぱり、知事が宣伝していた通りに、宮崎の地鶏は、評判通りでした。

22nd_oct_2008_800_2 次に、こちらで有名な、カツオ・ラ-メンを注文すると、ユズ胡椒の薬味とカツオの切り身が付いた、カツオ出汁の醤油ラ-メンが出てきました。 ちょっと甘めス-プを塩の効いたユズ胡椒の薬味で味の調整をし、カツオの切り身を乗せて戴きました。 私個人としては、普通の醤油ラ-メンと醤油タレに浸けたカツオの切り身とご飯が良かったと思ったのが率直な意見でした。 ユズ胡椒の美味しさは、抜群で、お店にはお土産として、そのユズ胡椒は置いてなかったので、他店で、2瓶求める事が出来ました。

無人駅の青島駅に戻り、気動車に乗り宮崎駅で降りて、ホテルまで戻りました。

1_22nd_oct_2008_800 夕方になり、一昨日に立ち寄った、小料理屋、「大はし」さんを見つける事が出来て、入店しましたが、始めての客でないので、気が楽です。

22nd_oct_2008_800_3 イモ焼酎の水割りと、煮物を頼みましたが、しゃれた器に盛られていました。

22nd_oct_2008_800_4 いわしの刺身で、皮が剥かれたいわしは、光っていましたので、正に鮮度の良い光物です。

22nd_oct_2008_800_5 マグロの刺身です。

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22nd_oct_2008_800_6 アマダイの焼き物です。

辛子明太子を戴きました。

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一人旅 in 大阪 (4)

再び大好きな、大阪城天守閣を拝観したく、再訪しました。 JR大阪環状線に乗り、大阪城公園駅で下車しますが、Suicaのカ-ドも利用出来て、とても便利です。

10th_oct_2008 今回も、同じ場所で記念撮影しましたが、今日は晴天になり、かなり気温が高くなっています。(小豆色の長袖シャツが後で汗で濡れて始めました。)

遠足で某小学校の低学年の児童達の賑やかな列に出会ったり、中国語や朝鮮語もあちこちで飛び交う団体さん達、県外や地元の人達と、それはそれは、まるで初詣の様な混み具合でしたし、気温もぐんぐんと上がり、抹茶入りソフトクリ-ムを並んで買い求めました。

10th_oct_2008_2 大阪城天守閣です。 お堀の水も、夏場に気温が高い日が続いた為と思われますが、青粉(あおこ)が大量発生していましたので、お堀の魚には、酸欠状態だと思います。 大負債を抱えた大阪が税金で清掃すると思えないので、大阪人の有志さん達が手をさしのべてくれるのを祈るばかりです。 私も気持ち程度を寄付したいと思いました。

まだまだ秋の気配を城内の木々の葉から感ずる事が出来ないと思っていましたら、もう紅葉した葉がありました。 

10th_oct_2008_3 お堀端に植えられた、ハナミミズキです。

城内にある、銀杏並木を通って歩いていますが、今、銀杏が沢山付いています。

大阪の梅田に戻り、御堂筋近くの陸橋(阪急ビルに繋がっています)の上で、ホ-ムレスの人たちの仕事をつくり、自立の支援する機関誌、 THE BIG ISSUE JAPAN(ザ ビッグ イツシュ-日本版)を右手に掲げて売っている男性から、一冊買いました。 300円ですが、160円がその販売者の収入になり、沢山の大阪人の支援あると推察されます。 ザ ビッグ イツシュ-日本版の記事の内容は、しっかりした物が多く、充分に楽しめますし、自分の考え方に影響を及ぼす様な記事にも、出会ったりしますので、300円では、安いかなと思います。 今回の104号の記事には、「レオン」や「スタ- ウォ-ズ」に出演した、現在27歳のナタリ- ポ-トマンの取材記事が載っていました。 彼女は、エルサレムでイスラエル人医師の父とアメリカ人の母の間に生を受け、ニュ-ヨ-ク州のロングアイランドで育ち、学生時代には、彼女の本名が伏せられ、芸名は、母方の祖母の旧姓を使い、反貧困団体、FUNCA(国際地域社会援助教会)の活動にも積極的に参加等々の事が記事で紹介されていました。

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一人旅 in 大阪 (3)

10th_oct_2008 朝食なしのホテルで、大阪では私の定宿なっています。 大阪には、朝早くから沢山のお店が開いていますので、朝食を外でするのも、楽しいですし、何の時間の制約もなく、何の約束もなく、気ままに過ごせる事の贅沢さを味わっていますが、10時を過ぎているので、お腹も空きましたし、もうホテルの部屋の掃除が始まっていますので、食事に出かけます。 今回も、曾根崎にある、牛丼店、吉○○さんの戸を開けましたが、店内が改装され、二人席やグル-プで座る事が出来る長イス席も新設して、ニワトリの飼育場の様な長テ-ブル席を減らしていました。 今回、牛丼が80円引きの様でしたが、今日も、豚鮭定食(490円)を頼み、赤い紅生姜をたっぷりと豚肉と、丼に載せました。 豚肉と脂っこい鮭を赤い紅生姜でさっぱりさせて、漬け物と白米ご飯は最高で、とっても美味しかったです。

10th_oct_2008_2 人形浄瑠璃作者の近松門左衛門作の「曽根坂心中」が、江戸時代に人気を博し、そのゆかりの地が曾根崎ですが、その神社の境内には、恋に殉じた二人を哀れんだ地元の有志寄付で、石碑を建て「お初」と「徳兵衛」の銅像が建てられています。 

10th_oct_2008_3 その露天神社(つゆてんじんじゃ)は、お初天神と称されていますが、前回拝観した時には、無かったと思いますが、柱に張り紙がしてありました。

第二次世界大戦では、日本国中の多くの地が空中攻撃に遭っていますが、グラマン戦闘機の機関銃の弾痕が生々しく残っています。 今の時代の若者だけでなく、年配者も想像力が欠如した人達が増えていますから、その弾痕から、突然、バリバリっと、空中に機銃掃射の音が鳴り響き、全ての物が破壊され、多くの非戦闘員である、子女までが無差別に殺戮される戦争を想像するのは、難しいかもしれませんし、戦争の悲惨さも、想像する事が難しいので、戦争反対にも無関心になりがちですが、この地で、沢山の大阪人も、家族や親族の方が無くなったと思います。 朝鮮戦争も、ベトナム戦争にも、日本国は、間接的に加担してきましたが、そしてイラク戦争にも加担し続けていましたし、海上自衛隊がインド洋で無償の燃料を供給し続けるの事については、賛否両論があります。 沢山の消耗品を必要とした米軍に、物資を供給した日本のメ-カ-が潤った為に、朝鮮特需と言われましたし、ベトナム戦争で使用された戦艦や潜水艦の修理と戦闘員の米兵の休息の為に、神奈川県の横須賀に寄港していました。 その横須賀米軍基地の前には、ドブ板通りと呼ばれた米兵相手の店がひしめく様に立ち並んでいましたが、私が子供の頃に、その通りを抜けて、デパ-ト売り場に遊び行ったりしましたが、子供心に、あぁ、まだ日本は本当の意味で独立はしていないと感じていました。 そんな環境の横須賀で、小泉前総理も育ちましたが、彼の生家、私が小学校時代に通ったそろばん塾の近くにあったと思います。 彼は、とってもアメリカびいきに育った様ですが、私とはかなり違っていました。 

ベトナム戦争で、艦載機が北爆(枯れ葉剤や爆弾による北ベトナムの空中攻撃)を続けた通常型航空母艦、キティホークからジョ-ジ ワシントンが、新たに母港しての横須賀米海軍基地に停泊した訳です。米海軍が誇る、多量の武器と戦闘機とウェスティングハウス社製の二基の原子炉を積んでいる、原子力航空母艦、ジョ-ジ ワシントンが、アメリカでなく、日本の横須賀を母港として、配備されましたから、横須賀は、ジョ-ジ ワシントンが来航して、新たな局面を迎えました。

米国が探索し続けている、あのリ-ダ-からは、日本も、名指しされていますので、危険度は上がっていますが、米国の高層ビルに民間機が突入した、あの悲惨な出来事は、想像力を働かせれば、他人事でない事を気づくはずなんですが。。。。

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一人旅 in 大阪 (2)

9th_oct_2008 神奈川県の海老名サ-ビス・エリア(S.A.)で、バスの運転手さんがここで交替をして、交替したその運転手さんが、最終駅の大阪の梅田まで運転します。 途中で、富士山が見えてきましたので、車窓から望遠で富士山の山頂を撮りましたが、バスが走行している為に、木々がぼけて写っています。 すぐに富士山は、雲に全体が覆われてしまい、すそ野しか見る事が出来ませんでした。 富士山の周辺は、とても天候が変わりやすいのですが、冬場の天候は、安定していますので、白雪を被った富士山を、比較的長く見る事が出来ます。

9th_oct_2008_2 次に静岡県牧之原市にある牧之原S.A.で小休息して、ウナギで有名な浜名湖を通過し、名古屋市の、かなり長さのある吊り橋タイプの名港中央大橋(橋長1170m)を初めて車窓から眺めましたが、橋梁技術の圧巻を見る事が出来ました。 名古屋市の名港中央大橋の一部の写真です。

「東の富士急、西の長島」と呼ばれる、三重県桑名市長島町のナガシマ スパーランドにある、絶叫マシンと呼ばれるジェットコ-スタ-が、私の左手方向に車窓から見えてきましたが、私は生憎、通路を挟んで、右側ですし、バスの走行中は、やむえない事態を除いて、着席していなければなりませんし、左側に着席している若い男性の頭部が写真のスクリ-ンに入ってしまいましたので、慌てて望遠に切り替えたんですが、写真の写りがよくありませんでした。

その次の休憩所は、三重県四日市市の御在所S.Aで、又、バスから降りて、足腰の血流を良くする為に、5分程度散歩しました。 そして、バスは、長いトンネルに入りました。 

標識には、三重県側と滋賀県側の境と書かれていましたが、何処のトンネルか、判りませんでしたが、そのトンネルを出る時に、反対車線のトンネルの入り口に、鈴鹿トンネルの標識が、瞬時でしたが確認する事が出来ました。 新名神高速道路では一番長いトンネルであると言われ、何分か計りませんでしたが、かなり長い時間そのトンネル内をバスが走っていた様な感じでした。

最後の休息所が、滋賀県甲賀市土山町にある土山S.A.では、ソ-ラ・パネルによる照明、屋上緑化、遮熱舗装などに取り組んでいるそうです。 

そして、次の停車駅は、京都になる為に、高速道路を降りて、一般道を走って京都駅に到着し乗客の半分程度が下車した後、30分程度で、やっと大阪の梅田に午後6時前にバスが到着しました。

バスの運転手さんから、お礼を言いながら、荷物を受け取り、そこから15分程度歩きましたが、本日から5泊するホテルに、やっと到着しました。

今年の4月に大阪城と桜の花見に訪れ、大阪・曾根崎のお初天神様の近くにある、居酒屋さんのオ-ナ-に紹介された山中渓(やまなかだに)の桜の話もしたく、夕食には、同じお店に立ち寄ろうとしましたが、看板が新しくなっていましたので、びっくりしました。 以前とお店の中は変わっていませんでしたが、開店3日目で今月末まで、焼酎と国産ウイスキ-が一杯100円で奉仕との事で、干物の炭焼きが売りの店になっていました。 

1_9th_oct_2008  新しいお店の名前は、「うおんちゅう」で、私はホッケの干物、たこわさび、サ-モンと甘エビとハマチの刺身の盛り合わせ、海鮮サラダ、生ホタテを注文し、焼酎を2杯、瑞泉(ずいせん、泡盛です。)を2杯飲んだ後に、二十代後半位の美人店長さんの写真を撮らせて貰いました。 前のお店で働いていた様で、彼女の方が私を覚えていて、それにブログを書いている事も覚えており、撮影を喜んでOKし、Vサインをしながらの笑い顔がとってもステキに写っていました。 その店内で、多分中国産の備長炭と思われるますが、ホッケの干し物の焼き物の準備が出来きたので、写真を撮らせて貰いました。

その「うおんちゅう」を後にして、宿泊ホテルの近くにあるスナック「一期一会」のママさんにも再会し、私が好きなウィスキ-の銘柄を覚えていて、すぐにシングルモルトの「グレンフィディク」の緑色の瓶から、ショット・グラスに注いでくれて、先ずは乾杯です。 ですから、一期一会の客から固定客に昇格されました。

ジャズや陶器(ママさんが趣味で集めた陶器やカップなど、展示販売していますので、前回はコ-ヒ-カップの一セットをお土産に買って帰りました。)などの話をしていたら、もう帰る時間になってしまいました。

一人旅は、様々な出会いがあります。 連れがある旅は、常に連れが側にいますから、話し相手がいて、それはそれで、楽しい旅になりますが、一人旅でも、話し相手がほしい物です。 ちょっとした会話と、焼酎と美味しいつまみや刺身があれば、大満足の一人旅です。

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一人旅 in 大阪 (1)

自分がしたい事を出来る事に感謝しつつ、一人旅をする事は、一期一会の出会いがあり、再会があり、いろいろな出来事に遭遇し、喜びと不安が入り交じる旅で、スランプ化した毎日の自宅での定年生活に、刺激を与える事でもあります。

変人として己自身を意識し出した中学時代の時に、集団行動が大嫌いで、一度、修学旅行を欠席したく担任教師にその事を申し入れ、受理されましたが、修学旅行も、授業の一部と言われ、図書館で自習になり私の様にわがままで修学旅行を拒否したのでなく、経済的な諸事情の為に、数人がすでに、図書館に自習していました。 修学旅行の為に、毎月の積み立て貯金がありましたが、修学旅行は、バスも旅館も団体予約ですから、当然、返金はありませんでした。 父親が苦労をして稼いだお金を頂き、そのお陰で毎月積み立てをしましたから、己のわがままで、その積立貯金が無駄金になると思い、そんな事を経験してから、仕方なく次からの修学旅行に行きましたが、何処へ行ったか、不思議な事に全く記憶にありません。

大学時代は、自転車で友達2人と伊豆半島を一週しましたが、パンクを直したり、夜中に見ず知らずの家に夕飯を戴き泊めて貰ったりと、テレビで放映している、有名人の「田舎に泊まろう」みたいで、特に、昔は、学生達には、多くの人々の心が暖かでした。 その後にも、同じ友達と、各駅電車で、四国を一緒に旅をし、当時は、四国の売り込みキャンペ-ン中で、キャッチコピ-は「青い国」でした。 れらの楽しかった旅の記憶が今でも残っています。

企業戦士時代は、欧州、北米、アジアと各工場と飛び歩き、週末にはその地の旧所名跡を案内して貰ったのですが、その記憶も一部しか今は思い出せません。(当時の日記や写真で多分思い出すとは思いますが。)  定年生活も2年目に入り、時の過ぎるのが何と早いと感じながら、体力と筋力と金力、全てが右肩下がりですので、今を楽しんでいます。

そんな訳で、再び、大阪と九州の一人旅が200810日から始まりました。 

先々週から、何処を旅をするか、交通手段はどうするかとか、何処のホテルに滞在して、どの街にショ-ト・スティをするのかなど、すでに旅は始まっていましたが、やっとその出発の当日がやって来ました。 前日は、午後11時より連続放映されているヒット作品の「プリズン・ブレイク」を見ないで、早く床に付き、一人旅が嬉しくて、今朝は4時に起きてしまいました。 朝の7時の通勤快速に乗りましたが、始発駅ですので、電車の繋ぎ部の側の席に座り、ス-ツケ-スは、棚にあけで、バックは足の下にしっかり押し込めて、じゃまにならない様しました。 電車が東京駅に到着して当駅構内で、昼食用として、梅干し入りのおにぎりを二つ買い、これから乗車するバスの隣席の人にも、麦焼酎とおつまみを差し上げ、楽しい一時を一緒に車内で過ごそうと思ったので、バックには、麦焼酎のカップ(220ml、25度)を4本、シングルモルトの小瓶とつまみが入っています。

今回は、東京から大阪まで、昼間高速バスで移動し、大阪から小倉へ夜行高速バスで移動し、小倉から別府と、別府から湯布院と、湯布院から宮崎へは、電車で移動し、宮崎から博多まで、昼間高速バスで移動し、博多から新幹線で帰宅する、長旅が始まりました。

9th_oct_2008 東京駅丸の内側の再開発を意識するかの様に、八重洲口側も再開発され、最大手のデパ-ト、大丸の高層ビルが、八重洲北口にそびえ立っています。 やはり花の都、東京です。

東京駅八重洲中央口を出て、正面の道路の向こう側のビル前に待ち合わせです。 集合時間の20分に到着しましたが、やっぱり遅れてくる人がいましたね。 

1_9th_oct_2008 10分ぼど遅れましたが、全員集合になりましたので、新宿駅から出発していた、4列の席ですが、フット・レストも付き、トイレもあるデラックスバスに移動しました。 気になる乗車料金ですが、東京と大阪・梅田の片道運賃で、4500円を私の場合は、地元の郵便局で支払い済みでした。 ス-ツケ-スをバスの側面にある保管場所に置いて貰う為に、運転手さんに、大阪行きと声をかけて、手渡しをして乗り込みました。 指定席の番号が告げられなかったので、適当に座ったら、その席に、お客さんが来ましたので、運転手さんに聞いて、私の席を尋ねると、後方の7の窓側で、隣席は空席でした。 若い男女、年配の女性達、年配の男性達、70歳前後の背広を着た男性の十数人の乗車者でしたので、空席がずいぶんありました。 早速、運転手さんのご挨拶と注意事項がスピ-カ-から流れて飲食は許可されましたが、何と禁煙、禁酒のお願いもありました。 焼酎を飲みながら、ウォ-クマンから、演歌と沖縄ソングを聴きながら、車窓を眺める一人旅は、私にとって楽しい一時なんですが、その為に酒類を持ち込んで乗った私は、かなりがっかりしました。

2_9th_oct_2008 約1時間半ほど走行して、最初の休息所は、神奈川県の海老名サ-ビス・エリアでしたので、キラキラ号のバスの全体写真を撮らせて貰いました。

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